• okinawabfj badge

「ハーフでも、ダブルでもない。私は、わたし」 沖縄・米兵の子どもたちがいま思うこと

同じようなルーツを持った人たちは、「アメラジアン」と呼ばれることもある。

沖縄県の新しい知事となった玉城デニー氏の父親は、米海兵隊の兵士だった。

しかし玉城氏は、アメリカに帰ってしまった父と会ったことはない。「母子家庭に育った」と自ら語る。

沖縄には、同じようなルーツを持つ人々が少なくない。玉城知事の誕生を、どう受け止めているのか。

「デニーさんの当選は、同じルーツを持つ子どもたちにとって、希望になるかもしれません」

そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、本部町に暮らす親富祖愛さん(35)だ。

日本人の母と、米海軍の兵士だった父の間に生まれた。玉城氏と同様、父と一緒に暮らしたことは、一度もない。4歳のころ、除隊してアメリカに戻ってしまったからだ。

4人の子どもを持ちながら仕事に邁進した母親と暮らしたことも、ほとんどない。一番うえの兄夫婦が、育ての親だった。

「毎年、クリスマスと誕生日には手紙とプレゼントをもらいました。中学の頃には1度だけ、沖縄に来てくれたこともあった。それが初めての父の記憶です」

「でも、それ以来連絡は途絶えてしまいました。最近になってFacebookで連絡を取り始めたんですが、アメリカにも家庭を築き、『後ろめたさ』を感じてしまったのだそうです」

身近にあった米軍基地には、複雑な気持ちを抱いていた。

「もし日本とアメリカの間で戦争が起きたら、どっちの味方につくんだろうと、いつも悩んでいたんです」

基地があるから、自分が生まれた。でも、基地がなくなれば、自分が否定されることも、悩むこともなくなるはずだーー。そんなことを考えていた、という。

見かけが違うだけで、”外国人”にされてしまう

幼いころは、「見た目が違う」ことを理由に、周囲の人たちから心無い言葉を投げられた。肌の色や、父親のことを揶揄するものだった。

「子どもながらには、キツかったですね。自分に似た父が一緒に暮らしていたら、自分を尊重して生きられたと思う。でも、父はいなかった。そんな言葉を投げつけられた時、どう戦っていいのかも分かりませんでした」

自分は、仲間たちに支えられ、そうした壁を乗り越えてきたという自負がある。

しかし、どこかで「自己肯定」ができていない状態は、大人になっても続いていた。たとえば、視線を感じる人混みが苦手、という点でも。

「今でも言われることもありますよ。たとえばカフェで働いていたときは、日本語は通じるの?とか。日常の些細なことで、言われるんですよね。ちょっとでも見かけが違うだけで、外国人にされてしまう。それが、日本なんです」

3人の子どもがいる。自分に似た長男は、小学校で同級生から、やはり同じような言葉を投げつけられてきた。

「小さい頃はこんな社会は変わると思っていた。けれど、変わらなかったんですよね」

マイノリティは、他人が与えるもの

選挙戦のさなか、玉城陣営の支援者から「ハーフ」や「ダブル」という言葉が飛び出してきたことがあった。

「デニーさんの支援者でもこのレベルなのか」という驚きとともに、傷つきもした。

「こういう言葉って、聞きたくない。後ろから石が飛んできたような気持ちになる。私はダブルでも、ハーフでもありません。私は私なんです」

アメリカ人とアジア人の間に生まれた子どもを指す「アメラジアン」という呼び方をされることもある。

「この言葉だって、好きではないんです。私はうちなーんちゅとして育った。自分をアメリカ人として、感じたことなんてないから」

ハーフだから苦労した、かわいそうーー。支援者から聞こえるそんな物言いにも、違和感を覚えた。他人から勝手に判断され、差別された結果として付けられるレッテルに過ぎないからだ。

声をあげなければ変化はない。そんな思いから、選挙期間中、自らの思いを語るようになった。集会で、マイクを持ったこともある。

「マイノリティという存在は、他人が与えるものなんです。人を見た目で、カテゴライズする社会にしないでほしい」

彼は希望、でも…

まだ、こんな時代なのだと思っている。でも一方で、玉城氏の圧勝が示したように「世の中が変わっている」とも感じている。

「玉城さんは、アメリカとか、沖縄とか、そういう垣根を超えた人。基地問題についてもそうだけれど、立場というフィルターをなくしてくれる存在になると期待しています」

この変化を機に、人がそれぞれの違いを気にしない社会を目指したい。そう、願っている。

「彼は希望かもしれないけれど、劇的に世の中が変わることはない。少しずつ変えていくために、1人1人が頑張っていくしかないですよね」