音のない世界の"音楽"

ろう者の奏でる生を描いた58分の無音映画

    音のない世界の"音楽"

    ろう者の奏でる生を描いた58分の無音映画

    音のない世界、つまり、聾の世界に「音楽」はあるのか。

    その映画には、最初から最後まで音がない。58分間の静寂。しかし、テーマは「音楽」だ。映像を見ているうちに、何かが聞こえる。

    映画の名前は「LISTEN リッスン」。

    陽光が反射する海をバックに踊る男性。空にゆっくりと手を伸ばし、何かに触れるように指を動かす女性。15人のろう者は、無音に生きる。予告編には、こう記されている。

    「歌わずにはいられない。私たちは、それを、なんと名付ければ良いのだろう」

    これが、監督した2人のろう者が映画に込めた問いだ。

    YouTubeでこの動画を見る

    youtube.com

    この予告編を見ると、冒頭に書いた言葉の意味がわかるだろう。

    音がないのに、音楽を感じる

    国内外で活躍する舞踏家から劇団員、そして普通の夫婦まで。それぞれが生き、踊り、音を奏でる姿を、淡々と捉えている。

    音はないのに、気がつくと体が動いてしまうような。まるで、心の中にある「音楽」を呼び起こされるような。そんな感覚を覚える、不思議な作品だ。

    共同監督の牧原依里さん(29)と雫境(DAKEI)さん(46)はともに、産まれながらにしてのろう者だ。

    「もともとは、音のある世界の音楽を音のない世界、ろう者の”音楽”に変えて、伝えたかったんです。翻訳ですね。しかし、なかなか難しかった。ろう者には、音楽そのものが存在しないと思われていたから」

    「それでも、ろう者たちの中は”音楽のようなもの”がある。音のない世界の”音楽”がある。ろう者の手の動きは意思伝達にこなれているからこそ、言語の域を超え、”音楽”を築き上げていけるんです」

    「そのような、今まで認識されていなかったものを撮影したのが、この映画です。メッセージは“ろう者の奏でる、それは何なのか”という問いなんです」

    BuzzFeed Newsの取材にそう語る牧原さんは、この映画のことを「無音でありながら画面から”音楽”が湧き出てくる」と表現する。

    2人に会ったのは、配給元である渋谷の映画館・アップリンクの一室。私は手話を話すことができないため、互いのパソコンを通じ、Facebookメッセンジャーで取材した。

    質問を投げかけると、二人は手話で言葉を交わし、相談をする。そして、一言一言を確かめるかのように丁寧にキーボードをタイプし、答えてくれた。

    牧原さんが映画製作に至った理由は、ひとつの出会いにあった。

    「小さいころ、音楽は私にとってもやもやとしたものでした。聴者は音そのもので感動しますが、私はそれがわかりません」

    「代わりに演者の身体や表情、情念、動きなどから音楽を感じ取ります。それでも、音そのものが見えないことに、ずっともやもやを抱いていました」

    そんな牧原さんはある時、今までにないを経験する。

    「大学の時、サインポエムというものに出会いました。手話で韻を踏む文学の一つですが、なぜか、そこに非言語的なものが見えたのです。これこそが、“音楽のようなもの”なのではないかと直感し、心が動かされました」

    その後、会社勤めをしながら、映画づくりを学んだ牧原さん。自らが感じた「音楽のようなもの」を伝えるべく、製作に乗り出した。

    「ろう者の踊りを追求していた」という舞踏家の雫境さんに声をかけ、タッグを組んだのは2年半ほど前のこと。互いの知人などに出演を依頼し、撮影を進めていった。

    映画には、ろう者の教育について考えてもらいたいとの思いも込めた。

    牧原さんは、小学校2年生までろう学校に通い、それ以降は普通学校に通っていた。音楽の授業は好きじゃなかった。中学時代には、合唱コンクールを辞退したこともある。

    「音を聴いてもわからないのに、聴かせられるテストがある。歌えないのに、歌わせられる。先生は、ろう者が合唱に参加するという気持ちを、想像できなかったのだと思います。音をろう者に説明する、ということをしなかった」

    ろう者は聴者から音楽を学ぶとき、たとえば、ピアノの振動を手で感じさせられる。そう言った「押しつけ」に違和感を覚える人も多いという。

    「音楽は、諦めと反抗の時間でした。普段の授業も孤独を感じていましたが、音楽の時間はいっそう孤独でしたね」

    こうして、牧原さんの心のどこかで「聴者の音楽への抵抗」が始まった。

    「LISTEN」は、聴者に“音のない世界の音楽”を、そして“ろう者の世界”を知ってもらうための映画だ。それと同時に、ろう者に、自分たちが持っていた”音楽”を知ってもらうための映画でもある。

    通常、ろう者の場合は映画館で「障害者割引」が適用されるが、この映画では、あえて一般料金を設定している。

    「トーキー映画には音響がありますが、私たちは、それを聴者と同じように聞くことができません。わかるのは振動くらい。その代償としての割引なのに、この映画の場合はもともと音がない。割引することに抵抗を感じました」

    一方で、聴者が映画を見る際には、耳栓が配られる。無音の世界を、より体感してもらうためだという。

    「ろう者が表現する音楽”も、聴者が表現する音楽”も、それぞれの根底には共通したものがある。この映画は音楽”の本質を考える、新たなきっかけになるはずです」

    牧原さんは、そんな思いを持っている。

    では、二人にとって、音楽とは何なのか。

    「答えはありませんし、求めてもいません」と雫境さん。牧原さんの場合は、こうだ。

    「答えは見つけられていません。というより、一人ひとり違うものだと思います。強いていえば、非言語と言語をさまよったもの。原初的な、生の衝動なのかなと」