「地獄」から蘇った秘湯がある。江戸時代から続く老舗旅館は、どう復活したのか

    地獄温泉・清風荘。江戸時代から続く熊本の誇る秘湯は、3年前の熊本地震をどう乗り越えようとしているのか。

    熊本の秘湯が、3年ぶりに復活した。その名も、地獄温泉。200年前の歴史を持つ、老舗だ。

    熊本地震で大きく傷つき、まさに”地獄”からの復活を遂げた江戸時代からの湯治場が、新たな一歩を踏み出した。

    阿蘇の山あい、曲がりくねった道の先に、地獄温泉はある。

    明治時代に建てられた本館をはじめ、5つの浴場、2つの宿泊施設を持つ、県内屈指の温泉旅館。

    かつて阿蘇山の火口だった土地に湧き上がるのは、少し緑がかった白濁色のお湯だ。浸かると身体に硫黄臭が染みつくほどの泉質を求め、古くから多くの湯治客が集ってきた。

    残された一番古い資料は、江戸時代後期の1808年に書かれた「入浴の掟」。当時は、怪我を負った武士たちが入浴していたという逸話も伝えられている。

    ただ、その本当の始まりは定かではない。阿蘇地域に伝わる神話にも、主人公である命(みこと)の子どもの生湯に使われたという言及があるほどだ。

    老舗を襲った震災

    2016年4月16日。老舗旅館を、大きな揺れが襲った。熊本地震の本震だ。

    村にある阿蘇大橋は崩落。大学寮や別荘地などでは死者が出た。

    地獄温泉へつながる一本道も崩れ落ち、宿は孤立状態に。宿泊客と従業員をあわせた約50人は、夕方に自衛隊のヘリで救出された。

    敷地内には地割れができ、明治時代に建てられた本館に歪みも出た。それでも、入浴施設は無事だった。

    数ヶ月で日帰り入浴だけでも再開させたいーー。そんな思いで経営を担う3兄弟とその家族たちは、復旧を急いだ。

    生きていた源泉

    しかし、不幸は重なった。2ヶ月後の6月20日、地震で弱り切った熊本を、豪雨が襲ったのだ。

    地獄温泉の敷地では、大規模な土石流が発生。多くの建物や最も古い「元湯」も飲み込まれた。被害を受けた施設は、全体の約3分2にまで及んだという。

    ただ、どん底の中で奇跡も起きていた。土石流で2メートル近く積もった泥の中から、湯気とお湯が吹き出していたのだ。

    数百年続いてきた温泉は、生きていた。一縷の希望が、そこにあった。

    3兄弟長男で社長の河津誠さん(56)は、当時をこう振り返る。

    「エネルギーを感じましたね。止めようとしても止められない。こうやってあふれるものを、独り占めしてはいけない。みんなのお風呂を、またつくりたいと」

    復旧には10億円

    復興の道筋は平坦ではなかった。

    東京五輪の影響で建材費は高騰。熊本では震災後の人手不足もあいまって、復旧には10億円の費用がかかることがわかった。

    補助金などを利用しても、3億円近くの自己資金を用意しないといけない。

    「やめるか、がんばるか。毎日シーソーゲームみたいな感じで、ずっと悩み続けてきました」

    業者との契約がまとまらず、くじけそうになったことも何度もあった。しかし、リピーターやSNS上の応援で、心が動いたという。

    さらにその気持ちを後押ししたのが、「歴史」だ。

    「片付けをしているなかで、昔の石垣や、沼地を改良した跡など、先祖たちの苦労が見えてきたんです」

    「長い間ここに、多くの人たちが癒しを求めて通い続けてきたということも、改めて理解ができた。これを絶やすわけにはいかないんだ、と思えました」

    再開初日に噴火も

    本震から3年目となる4月16日。ついに、日帰り営業がはじまった。

    もともと「清風荘」だった名前からは、これ以上の水害に見舞われないよう、氵(さんずい)を取ることにした。

    「ゼロから立ち上がる。名前を変えてでもやり直すという、意気込みです」

    まず復活した名物「すずめの湯」では、若い世代も来やすいように清潔感のある建物に作り変え、湯浴み着や水着を着用して入る北欧式のスタイルを取り入れた。

    ただ、こんなこともあった。初日、奇しくも阿蘇山がごく小規模な噴火を起こしたのだ。河津さんは笑う。

    「阿蘇の人々は何千年も昔から、自然と折り合って生きてきた。DNAに刷り込まれてるんですよ」

    「今回の地震も、阿蘇の歴史の中でみたら、大したことがないんだと受け止めるしかない。つらいけれど、ね」

    目指すのは次の200年

    敷地内では、いまも工事が進む。震災から4年目、来年4月のフルオープンを目指しているという。

    いままでは「震災」を理由にやめることもできたかもしれないが、復活をしたこれからこそが正念場だ。それでも諦めるつもりはない。

    「せっかく復活したのだから、目指すのは次の200年ですよ」

    若い人から老人まで。お金持ちから、そうではない人まで。怪我をした人から、心を患った人まで。

    誰もが立ち寄ることのできる、「みんなのお風呂」を続けていきたい、と河津さんはいう。

    「私たちが大きく傷ついた経験をしたからこそ、それを生かしたいんです。つらくなったり、しんどくなったりした人を癒すことのできる場にしていきたい」

    「もうひとつ。日本では、またいつか必ず災害が起きて、私たちと同じような経験をする人が必ずいる。私たちがその人のためになれたとき、僕らの復興は終わるのだと思っています」