シリアの内戦により難民となった女性が、支援の必要性を訴えるために来日し、6月27日に記者会見を開いた。
女性が逃れた先はイラク。シリアほど目の前に迫った危険があるわけではないが、不安定な情勢が続くことに変わりはない。そこで医療支援を続ける日本のNPOの現地スタッフとなり、支援する立場で働いている。
内戦で夢を奪われ、身内は戦いで殺された。過去を振り返って涙をこぼす彼女は、支援が減っていることから「存在を忘れられている」と切実に助けを求める。
リーム・アッバスさん(25歳)。シリア北東部出身のクルド人で、シリアの情勢が悪化した2013年、イラク北部クルド自治区の難民キャンプに逃れ、難民となった。
クルド人はシリア北東部やイラク北部、イラン、トルコなどにまたがって暮らす民族で、「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれる。どの国でも少数民族として差別されたり、抑圧されたりしている。
イラクに逃れた時、リームさんは20歳だった。「夢が閉ざされたことが大きな悲しみだった」という。
故郷を離れて難民になったことで、看護師になるという夢を叶えるのが、難しくなったからだ。
悪夢を前に、緊急処置をする日々
8歳のときに母親をがんで亡くしたのがきっかけで、看護師を目指した。紛争が始まった11年にシリアの首都ダマスカスの看護学校に通い始めた。
しかし、治安はみるみる悪化。同級生の誘拐や殺害などが現実の世界になり、学校に併設された病院には、負傷した兵士が運び込まれるようになった。
看護師の多くが病院から姿を消した。だが、リームさんは学生にもかかわらず残り、懸命に緊急処置に当たった。「悪夢のような日々だった」という。
「される側」から「する側」に
治安はさらに悪化し、隣国のイラク行きを試みたが、何度も失敗した。やっとの思いで入国できたのは、2013年8月だった。
リームさんは難民キャンプで暮らし始めた。
だが、ダマスカスの看護学校を去らざるを得なかったため、このままでは勉強を続けて看護師の資格を得る可能性はほとんどない。希望を失い、悲しみの淵に立たされた。
そんな中、難民キャンプ内で妊産婦を支援していた特定NPO法人「JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)」と出会った。そこで、JIM-NETの現地スタッフとして、支援を「される側」から「する側」にまわり、働くことにした。
助けを求めてくるのは、シリア難民たちだけではない。イラク国内からも多くの避難民がおり、母子保健や小児がん支援、シリアの難民キャンプへの医療品支援などに力を注いでいる。
日本人への感謝
リームさんは、難民キャンプの現状を次のように話す。
「状況はとても悪く、みんな疲れ切っています。シリア難民だから働かせてもらえないし、治療を断られる人もいます」
「シリアに帰ったところで家はなく、仕事はない。途方に暮れている状況です」
だからこそ、JIM-NETのように現地で支援を続ける団体らの助けが救いになっているという。
リームさんは「ずっと支援を続けてくれている、日本人のみなさんに感謝を伝えたい」と来日した目的の一つを話した。
ただ、内戦から7年が経過し、どうしても注目が落ち、支援も減っている。とりわけイラクは治安が悪いこともあり、難民を受け入れた他国に比べると支援の手は薄いという。
そのため、存在を忘れずに力を貸してほしいと訴えた。
合言葉を胸に、夢は決して諦めない
自らにいつも言い聞かせるのは「明日はきっと良くなる」の合言葉だ。
シリアの看護学校に戻って、看護師の資格を得るのはまだまだ困難だが、夢は決して諦めていない。BuzzFeed Newsに英語で「オフコース(もちろん)」と笑顔を見せた。
一緒に来日したのは、7ヶ月の娘、サビーンちゃん。自身がたどり着いた難民キャンプで夫と出会って結婚し、授かった子だ。
最後に、彼女は前向きに話してくれた。
「内戦で翻弄され、イラクに入国し、生活が一変しました。ヨーロッパに逃れる兄弟もおり、とっても心細かった」
「今日までいろんなことがありました。難民やがん患者など対象者に寄り添いながら、これからも支援を続けていきます」
「赤べこ」に綴った言葉
リームさんは7月5日までの滞在中、さまざまなメディアに出演し、支援を求める予定だ。
6月30日には東京都の聖心女子大学で「ママの目から見た人道支援とは」と題したイベントに登壇し、参加者に向けて詳しい現状を語る(詳細はこちら)。
また、福島県を訪問し、会津若松市長と面会する。
さらに、東日本大震災による復興のシンボルとされる、福島県会津地方の郷土玩具「赤べこ」の製作工程を視察する。難民キャンプで、職を求める難民たちとオリジナル商品を作り、お金を得られるよう計画している。
リームさんは幼い頃、現地では「キャプテン・マジド」の名で親しまれるアニメ「キャプテン翼」を観てから、サッカー日本代表のファン。W杯期間中に来日したことから、会見中は日本代表のユニホームを着ていた。
赤べこに日本代表のユニホームを描き、「日本の皆様、ありがとうございます」とメッセージを綴った。