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沖縄の海に叫ぶ、ふんどし姿の「おじさん」と基地問題 切り離せない過去

ネットで話題の「せやろがいおじさん」の過去。そして、県民投票への思い。

赤いふんどし姿で、沖縄の海に向かって社会派のネタについて思うことを叫ぶ「せやろがいおじさん」。

その動画はインパクトとテンポの良さを兼ね備え、YouTubeやTwitterに投稿されるたび拡散する。

そんな彼は、宜野湾市にある米海兵隊・普天間基地(写真奥)に隣接する、沖縄国際大学の卒業生だ。

2004年、キャンパス内に米軍ヘリコプターが墜落した事故の2年後に入学。自宅アパートの目の前には基地があった。

「ダメな学生だったんですよ、本当に(笑)」。自嘲気味に話す彼と、普天間基地の移設に伴う辺野古埋め立てに関する県民投票を前に、母校を歩いた。

せやろがいおじさんは、お笑いコンビ「リップサービス」の榎森耕助さん(31)。

本業のかたわら、これまで教員の労働環境や、タレント・りゅうちぇるさんのタトゥーをめぐる問題、雑誌「新潮45」など、さまざまな社会的な話題を題材に、動画を制作。Twitterに投稿すれば、1万リツイートを超えることもある。

そんな彼には、沖縄の基地問題と切っても切り離せない過去がある。

一歩間違えれば…

沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事故は2004年8月に起きた。

大学に隣接する普天間基地から飛び立った直後、ヘリは大学の本館に激突し、墜落・炎上した。

一歩間違えば多数の犠牲者が出ていてもおかしくない、重大な事故だった。

幸い夏休み中だったため、構内に人は少なかった。乗員3人が負傷し、大学や周辺の建物が被害を受けた。別館では夏期集中講義がおこなわれていたが、学生や教職員、地域住民など民間人の人的被害はなかった。

この事故では、沖縄県警による捜査が一切できなかった。米軍側が日米地位協定に基づき一方的に現場を封鎖。ヘリを搬送してしまったからだ。

『THE・無関心』の若者だった

事故の2年後、沖縄国際大に入学した。

海に面していない奈良県出身で、「海が見たい」という単純な理由で、沖縄の大学を選んだのがきっかけだった。

「恥ずかしい話、僕は不真面目な学生『THE・無関心』の若者だったんです。自分の学生生活のことしか考えていなかった」

事故当時のニュースは覚えていない。入学が決まり、親戚に報告すると「ヘリが落ちたところでしょ」と返ってきたが、「そうなんだ」としか思わなかった。

学生時代から芸人をはじめ、稽古漬けの毎日。どう授業をサボり、空いた時間でどう遊ぶか。そんなことばかり考えていたという。

「不動産屋、一言教えてくれよ」

当時の自宅は、普天間基地からたった10〜15メートルのところにあった。

部屋選びの際、内見の時には戦闘機は飛んでおらず、「この安い家賃で、この広さなんや」と住み始めたものの、待っていたのは驚きの連続だった。

沖縄にやってきたばかり。「本土出身の何もわかんない若者ですよ。『不動産屋、一言教えてくれよ!』と思いました」と、冗談を交えながら語る。

「本当に基地すれすれのところを飛行機が飛んでいて、轟音がめちゃくちゃ聞こえるんですよ。騒音被害は聞いていたけれど、ひょっとして落ちるかも思ってしまうタイミングが1日に何回もあるのは、住んでみないとわからなかったですね」

「僕は、子どもだった」

5年ほど暮らしたが、とりわけ大きな音には慣れなかった。

「家の窓はガタガタガタと揺れて、僕みたいな不真面目な学生にとっては、目覚まし時計の効果もありましたね。テレビのトーク番組で、オチの手前で飛行機の音が聞こえてきたら、『早くオチ言って!』って思っていましたよ」

そんな環境でも、基地問題について無関心だった。基地について熱心に語る人も周りにいたというが、「めんどくさいやつらだな」と敬遠もした。

大学構内には、事故により被災して焼け焦げたアカギの木がいまも残る。

モニュメントの前に立ち、「学ぶ姿勢が全くなってなかった時代です」と、真剣な表情でつぶやく。

「だから、今の若者の政治離れや冷笑してしまうスタンスを、僕は攻めきれないところがあるんですよ。基地が目の前にあっても、こういうもんかとしか思わない。本当に子どもだったんです、僕は」

彼を変えたラジオとの出会い

では、せやろがいおじさんを変えた転換点は何か。

「評論家の荻上チキさんのラジオ番組が好きで。基地の話も扱っていて、そうなんだって思うことがたくさんあったんです。それで、自分でも基地にちゃんと目を向け始め、考えるようになりました」

「普天間基地の危険性を改めて考えた時に、この環境に住宅や大学があるのは相当まずいことだなって思いましたね」

社会的なネタを切る動画を始めるようになったのは、2018年のこと。しかし、沖縄を取り巻く問題を扱うのはあえて避けてきた。多様な意見が交錯し、「本当にデリケートな問題」だと思うからだ。

「県知事選の時には、一般の方から各候補者の応援動画を作ってくれって依頼がいっぱいきて。でも、断りました」

転換点は、知事選だった

しかし、2018年9月の知事選の後に考えが変わった。

「知事が決まって、『沖縄終わった』とネットで語られているのを目にしたんです。その言い方は違うだろうと思い、政治的なネタを段階を踏んでやり始めました」

望んでいなかった結果でも、玉城デニー知事(写真)以外の候補者を応援した人も、ともに「新しい沖縄を始めていこう」とのメッセージを動画を通して送った。

知事選後には「沖縄終わった」という声に対し、動画でこう伝えている。

「いま、沖縄に必要なのは『沖縄終わった』という諦めや切り離しの言葉」ではなく、別の候補者を応援していたからこそ見える視点を反映した対話だ、と。

後に県知事選の結果をみんなが「正解だったね」と言えるよう、「力を合わせて、知恵を絞って、新しい沖縄始めてこ〜」と叫んだ。

辛いこともある、それでも

政治的な話題に触れるほど、辛いこともある。批判の言葉もたくさん投げかけられ、離れてしまう人たちもいるからだ。

「『政治的な発言をする芸人は応援できない』とメッセージが来て、離れてしまった人たちがいるんです。コンビの活動を応援してくれていた人で、仲良しでした」

「急に政治的なことを言い始めたら、びっくりするのは当然だと思うんですが、それが一番きつかったですかね」

「期待に答えられず申し訳ないなって気持ちもあるんですけど。でも、僕はこれをやりたくなっているし、自分のお笑いの力でやってると思っているから。いつか認めてもらって、また応援してもらえるよう頑張るのが、いまのモチベーションです」

離れる人はいるが、ふんどし姿の活動を応援する人もできたのは事実だ。

大学構内を歩けば、後輩たちから「もしかして、せやろがいおじさんですか?」と声をかけられる。「そうです」と気恥ずかしそうに答えれると、「すごい!頑張ってください!わあ!」と喜ばれていた。

大きな拡散力を持っていても、大学生に認知されているとは思っていなかったという。

「あんな動画よう観てるな。びっくりした」と、照れ臭そうにポツリと言った。

「実は、このふんどし姿恥ずかしいんですよ」。撮影中以外は、すぐにジーンズを履き、人間味がある姿を時折見せる。

後輩に投げかけた言葉

取材中、突然、若い2人が駆け寄って来たときのことだ。

聞けば、同じ奈良出身で、19歳。一人は後輩にあたる総合文化学部の学生。もう一人は関西の大学に通っているという。

普天間基地をめぐる話題になった。1年生の大西研太朗さんは、友人には賛成と反対どちらの意見もあるといい、「僕の周りは8割くらい基地について考え、意見を持っています」と話す。

「僕が学生時代、なんもこんな話せえへんかったからすごいな」と、せやろがいおじさんは感心する。

授業中、戦闘機の音で中断すること。自宅の窓が揺れること。共通の話題で盛り上がる。

一方、大西さんの友人で、春休みを利用して遊びにきたという髙棹天馬さん。「戦闘機の音で目覚めることもあります。たしかに、ここの近くの住民は、生活しづらいのかなって、2週間滞在して気づきました」と感想を語る。

10分ほどの会話。最後に、せやろがいおじさんは、2人に向けてこんな言葉をかけた。

「この年代からリテラシーを持って、情報と接することを求められているのはすごいことだと思う」

「この立地で学んでいるからこそ、わかることってたくさんあると思うし、この大学の学生の言葉は特に重みがある。政治的なことを言いづらいって空気感に押しつぶされず、思ったことを気楽に言ってもええんかなと思う」

最新の動画は「県民投票」

辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票当日の2月24日。せやろがいおじさんは、投票に行ってもらうよう促す新たな動画を配信した。

投票は、「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択。さまざまな意見が飛び交う中、こんなメッセージを投げかけた。

「『どちらでもない』に入れる方の気持ちもわかる」し、否定はしない。だが、「それが一番多かったら、沖縄県民って結局どう思っているの?ってなる」「民意をぼやけさせる選択肢だと思う」

そして、対立をなくすためには、「くっきりした民意が必要」であり、投票率が上がれば、「沖縄県民の関心がどれほど高いか示せる」として、投票に行くよう呼びかけた。

最多得票の選択肢が、有権者の4分の1に達した場合には、玉城デニー知事が、その結果を安倍晋三首相とトランプ米大統領に通知することになっている。

ただし、政府は県民投票の結果がどうであれ、移設工事を進める構えだ。

もっと叫びたいことは他にある

とはいえ、そんなせやろがいおじさんにはもっと叫びたいこともある。

「沖縄に住んで発信している以上、ここの問題は切っても切り離せないです。でも、基地の問題も大事ですけど、子どもの貧困問題とか、沖縄には語らないといけないことがたくさんあるんです」

「僕もラジオがきっかけで、関心を持って動くようになりました。知らないと動きようがないと思うので、僕の動画でまずは知るきっかけになってほしい。それが、いまの僕の役割だと思っています」

影響力を持つようになったいまも、視聴者に配慮して多様な意見を紹介し、「デマの発信源になりたくない」との考えは変わらない。

一方で、誰に批判されようと、「俺が思ったことやから」と自信を持って、自身の意見をより多く伝えたいと思うようになっている。

たとえファンが離れようと、傷つくような批判を受けようと、沖縄の海に向かって叫び続ける。せやろがいおじさんとしての活動を、彼はやめるつもりはない。

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