• schooljp badge

茶髪で生まれた女子高生 黒染めを強要された彼女と母の行動

担任の主張は「市の決まり」。2人は、そんなものはないと証明した。

茶髪で生まれたがために、心身ともに苦しみ続けた1人の女子高生がいる。

小学校に入るといじめに遭い、中学時代には担任から黒染めを強要された。

生まれ持ったものを否定されるのが、当たり前のような人生だった。

納得できるはずがない。彼女が選んだのは、母とともに立ち向かうことだった。

彼女のように苦しむ生徒は、決して少なくない。学校現場が変わってほしい。彼女と母親は、BuzzFeed Newsの取材に対面で語ってくれた。

大阪府内にある貸会議室。彼女は、カメラの前に座った。太陽の光が差し込むと、茶色い髪が一層明るくなる。

彼女は、大阪府内の公立高校に通う3年生。祖父がアメリカ人のクォーターだ。

中学1年生の頃に受けた「黒染め強要」について口を開いた。

「入学式の日に、担任の先生に保護者やクラスメイトの前で呼び出されて、髪の毛が明るいから黒く染めてくるように言われました」

担任は若い女性だった。その場にいた母親が、クォーターであると説明したが、理解は得られなかった。こうきっぱり言われたという。

どこの血が入っていようが関係ない。普通は黒髪で生まれてくる。これは市の決まりなので、留学生であっても絶対に黒髪に染めなければいけない。

その言葉を聞き、母親は教育委員会に出向いた。自らも髪色が生まれつき明るいことを示しながら、対応を依頼した。だが、学校は姿勢を変えなかった。

その後、別室や廊下に呼び出される生活が始まった。

「何人かの先生に囲まれて、根元から掻き分けられて髪の色を見られました。違う日には、みんながいるのに廊下で『やっぱり明るいな』とか小言のように言われました」

担任は成績にも言及したという。「だから成績が悪いんだ」と決めつけられ、心が痛んだ。

髪を黒く染めなければ「高校進学はできない」「行事参加も諦めろ」とまで告げられた。

クラスメイトにいたアメリカ人と日本人のハーフの子を比較に出し、「なんであの子はハーフなのに黒髪に近くて、クォーターのあなたはそんなに茶髪なのか」と言われたこともあった。

心無い言葉の数々は彼女の心を蝕み、自信は失われていった。言葉を選びながら、当時の心境を吐露した。

「人によって髪の毛の色は違うし、もちろん肌の色も違いますよね」

「それをハーフだから絶対に茶髪だとか、クォーターだから絶対に日本人に近いはずだとか、そういう見方をされると、本当に生きづらさしか感じなかったです」

夜中に突然、川に来るよう呼び出されたことも

担任や他の先生から「不良扱い」されたという彼女は、他のクラスの生徒や先輩たちからの言動にも苦しんだ。

『なんであの子は茶色いんだろう』『私は染めたら怒られるのに、なんであの子は怒られへんねん』などと言われ、LINEのIDを勝手に広められもした。

夜中に突然、川に来るよう呼び出されたこともあった。行かなかったが、恐怖に震えた。

先生は守ってくれる存在だと信じていたが、味方をしてくれた先生は誰一人としていなかった。彼女にこんな不安がよぎった。

「やっぱり私は、普通の学校生活を送ることは無理なんじゃないかな」

思い出したくない過去

小学生の頃に、茶髪が原因でいじめられた過去があるからだ。

入学した小学校では茶髪の生徒は彼女だけ。当時も「好奇の目」で見られた。

すぐにいじめが始まり、入学してわずか2日目に異変が起きた。ランドセルを背負った途端に嘔吐したのだ。

病院では「体には異常はなく、精神的なものが原因」だと告げられたという。

トイレに行っている間に筆箱の中身を全て取られ、複数人に蹴られてあざだらけで自宅に帰る日々だった。母親が担任に相談しても、取り合ってもらえなかった。

それがきっかけで円形脱毛症になり、心療内科にも通うようになった。夜は眠れず、睡眠薬を処方された。原因不明の頭痛に襲われ、地面でのたうちまわることもあった。

それでも、母親は「ここで負けたら不登校になる」と引きずるように彼女を学校に連れていった。彼女自身もめげなかった。

暴力はなくなっていったが、物を隠すなどの陰湿ないじめは、4年生の頃まで続いた。現在暮らしている市に引っ越すまで心療内科に通ったという。

茶髪で生まれなければよかったー。そう思う日もあった。

「私は生まれも育ちも日本で、英語も全く喋れないんです。それなのに、小さい時から茶髪なだけで『外国人』『国に帰れ』と言われてきました」

「引っ越して、やっと心も明るくなれて、いろんな友達もできて楽しくて、やっと中学に入ったのに。次は先生方からそういう扱いを受けて、大人だから信じられるとかないんだ、と裏切られた気持ちになりました」

担任の仕打ちに彼女は、中学1年生の秋に我慢の限界を迎えた。どうしても行きたかった「校外学習に参加させない」と言われたからだった。

今度は、母親と2人で教育委員会に足を運んだ。すると、担任が地毛を黒く染めさせるために主張していた「市の決まり」はなかったと判明したという。

学校側に連絡が行き、学年主任と副担任が自宅に来て謝罪した。

それでも、担任は地毛だと認めなかった。そこで彼女は黒髪に染め、母親が担任にこう言った。

「これで根元から茶色い髪が生えてきたら、地毛だと認めてください。もう後にも先にもこれで最後です。もう二度と黒髪に染めません」

さらに、担任に求められた幼少期の写真を10枚ほど封筒に入れて持参した。担任はその場で封を開けず、無言で持って帰ったという。

そして、ついに地毛だと認められた。それからは黒染めの強要はなくなった。

担任は彼女が2年生に上がった時、転勤した。現在まで一度も謝罪の言葉はない。

「あの日々は嘘だったかのように、担任の先生から何も言われなくなりました。そのまま何も問題がなかったことになりました」

支えてくれた母親の存在

なぜ、気持ちを強く保てたのか。彼女は言う。

「学校には味方がいなくても、何人かは分かってくれる友だちはいるし、親もいるし…。そう考えたら心が少し楽になりました」

彼女にとって誰よりも味方をして、支えてくれたのは母親だった。

「やっぱり、お母さんだけは何があっても、私の味方だって自信があるし、周りの人が、世界中が敵になっても守ってくれます。お母さんがいなかったら、ここまで生活できていないです」

苦しかった過去を思い返し、彼女はむせび泣いた。大粒の涙が頬を伝う。

「子どもは親を選べない、と言うけど、本当にお母さんのところで生まれてこれて良かったな、と思います」

BuzzFeed Newsの取材に、母親は涙を浮かべながら「この子を守れるのは、親の私でしかなかった」と語る。

「昭和の生まれの私でさえ経験しなかったのに、平成の時代に我が子がこういう思いをするなんて夢にも思いませんでした」

「子どもは心が傷つき、前に進めないと思いました。だから、自分の体を張ってでもこの子を守っていこうとしたんです」

茶髪で生まれたために心身ともに傷を負った生徒は、彼女に限らない。

2017年10月には、彼女とは別の大阪府立高校の女子生徒が教員から黒染めを強要されて不登校になったとして、裁判を起こした。

この裁判のニュースをTwitterで知った彼女は、自分の過去と重ね合わせた。

「進学できない」とまで言われた高校では、事前に髪色やパーマのレベルを示す「地毛登録」をしており、これまで黒染めの強要はない。

ただ、裁判を起こした生徒について、他人事とは思えなかった。だから、取材にも応じてくれた。

茶髪で生まれたことを理由に苦しむ生徒たちに向けて、何を伝えたいですか。そう問うと、こんな言葉を紙に書いた。

「負けたらあかん!!」

「私は、やっぱり理不尽なことに我慢して、辛い思いをして耐えるというのはおかしいと思いました。立ち向かっていかないと何も変わらないとも」

「生まれ持ったものを痛めつけてまで、学校に通わなければいけないのはやっぱりおかしいです。だから、先生は隔世遺伝があることもしっかりと理解してほしい。そういった校則(ルール)がなくなってほしいです」

最後に、母親は力強く、次のように言った。

「髪の毛の色、まっすぐな髪の毛の人もいれば、縮れている髪の毛の人もいる。目の色や肌の色の違う人もいる。体が不自由な人もいます」

「この子には、人の痛みをわかるように、苦しんでいる人に手を差し伸べられるような子になりなさい、と教えてきました。その通りに成長してくれて、私はすごく嬉しいです」


全国の学校にある理不尽な校則(ルール)を見直そうと、NPOを中心とした活動が始まっています。BuzzFeed Newsでは「" #ブラック校則 "をなくそう!プロジェクト」始まる 署名すでに2万人、全国調査も実施という記事を配信しています。

署名活動はこちらから。

BuzzFeed JapanNews