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東京大空襲から74年。あの日、火の海になった東京はいま…(写真)

74年の時が経た今も、東京都内には戦争の遺構がいくつも残っている。

1945年3月10日の東京大空襲から74年を迎えた。 米軍のB29爆撃機およそ300機が来襲し、約1700トンの焼夷弾を投下。約10万人の命が失われた。

74年のときが経た今も、都内には戦争の記憶を伝える遺構が残っている。そのいくつかを紹介する。

言問橋(台東区・墨田区)

鎌倉橋(千代田区)

浅草寺境内のイチョウの木(台東区)

神田明神境内のイチョウの木(千代田区)

JR高尾駅ホームに残る機銃掃射の跡(八王子市)

旧軍人会館(千代田区)

旧近衛師団司令部庁舎(千代田区)

第一生命館(千代田区)


「紅蓮の一夜、明ければ東京は瓦礫の町だった」

焼夷弾の爆撃のみならず、火災によって発生した旋風も多くの犠牲者を生む一因となった。雄鶏社『東京大空襲秘録写真集』は、空襲から一夜明けた都民の目に映った景色をこう記している。

「紅蓮の一夜、明ければ東京は瓦礫の町だった」

「廃人と瓦礫の山にかすかに残煙がくすぶり死屍は累々と道端に転がり、電気、ガス、水道は勿論、交通機関も各所で不通となり、帝都の様相は一変してしまっている」

死者10万人、消失家屋27万棟。東京大空襲の惨禍は、数字としてこうまとめられる。しかし、その罹災者の一人一人に名前があり、家族があり、将来の夢があった。

生き残った人々も家財が焼け、傷を負い、家族を失ったものも少なくなかった。孤児となった子どもも多かった。戦後、彼らが経験した苦労は筆舌に尽くしがたい。

「平成」がもうすぐ終わりを迎え、「昭和」という時代はさらに遠くなろうとしている。しかし、平和を謳歌する今の東京の街は、あの戦禍の上に成り立っている。

いまも残る戦争遺構は、そのことを私たちに思い起こさせる。

UPDATE

鎌倉橋、第一生命ビルの記述を修正しました。