大泉洋と過ごした23年は間違ってなかった。「水曜どうでしょう」ディレクターは語る

    HTB開局50周年ドラマ「チャンネルはそのまま!」の完成をうけて、旧社屋と大泉洋との思い出を聞いた。

    「あぁ、僕らはここまでたどり着いたんだ…」。インタビュー中、嬉野雅道さんがつぶやいた言葉だ――。

    「水曜どうでしょう」を生み出したHTB(北海道テレビ放送)が、自局をモデルにした漫画「チャンネルはそのまま!」を連ドラで実写化した

    開局50周年を迎えたHTBは2018年9月、新社屋へ移転。それに伴い、旧社屋を丸ごとセットとして利用した。

    23年目を迎えた「水どう」の名場面もこの旧社屋で生まれた。前編に続き、藤村忠寿、嬉野両ディレクターに旧社屋の思い出や大泉洋と歩んだ23年間を聞いた。

    旧社屋で思い出深いのは「裏口」

    ――旧社屋を離れることになりますが、思い出はありますか?

    嬉野:あの旧社屋の裏口が何とも思い出深いよね。駐車場がある方の裏口。

    ――「水曜どうでしょう」の企画発表をよくやっていた駐車場があるところの通用口ですよね。旅企画のとき、何も知らない大泉さんがいつも「アカプルコ」って予想する…。

    嬉野:俺は、あそこにHTBの文化を感じるんだ。ホントだよ(笑)

    嬉野:だってさ、何年か前だけどさ、HTBも世間並みにセキュリティーを考え始めたんだよ。IDカードを作ってさ、それを持ってないと赤いランプが回って、警報が鳴って、ガードマンがバッと出てくるようにしたの。

    でもさ、みんなIDカードをよく忘れるんだよ。そしたら何年かしたらさ、裏口通った警報が鳴らないんだよ。ガードマンもでてこないし多少、赤いランプがパラパラっと回るくらい(笑)

    藤村:「いちいち鳴ってうるさい」って、みんなに言われたんだよね(笑)

    嬉野:技術の人間とかは搬入とかで面倒くさいからさ。なんとなくなし崩し的に…。

    HTBの「なし崩し」になれる体質。世間並みにやろうとしても、みんなが総出で、ぐちゃあ…ってなるのは、HTBの文化だと思った。札幌のテレビ局のうち、1局だけ中心地から離れた、あの山の中のあることの意味合い。50年間の時間の中での意味合い。

    それが「水曜どうでしょう」を生み、最後に「チャンネルはそのまま!」を生み出したんだと思うんだ。

    藤村:そうだよね。

    嬉野:今回のドラマのオープニングもさ、(札幌中心地の)空撮から入るんですよ。札幌のドーンとした、いい感じじゃないですか。豊平川がバーッと流れて。大通もバーッと映って。そこから南平岸にグーッと近づいて、こう、旧社屋が見えるじゃないですか。

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    HTB開局50周年ドラマ「チャンネルはそのまま!」 / Via youtube.com

    「札幌のドーンとした、いい感じ」が映るオープニング映像の一部が視聴できます。

    ――旧社屋の上空をカメラが回りますよね。それで…。

    嬉野:カメラは裏口から社屋に入って来るでしょ。で、芳根京子さん演じる主人公がいる。これはいいですよ。やっぱり神髄をわかってる、本広克行(総監督)。

    藤村:正面から入らねぇんだもん(笑)。裏口から入っちゃってさ。普通は正面から入るだろうと。でも、なんの迷いもなく裏口から入るんだから。

    嬉野:開局50周年だぞ?50周年を広くお披露目するときに、あのしょぼい裏口からスタートする。もうちょっとあるだろうと(笑)

    藤村:でも、本広さんも「ここはやっぱり、どうでしょうのファンは『あ!』って言うから!」って。

    裏口で生まれた金字塔 「シェフ大泉 車内でクリスマスパーティー」

    ――「水曜どうでしょう」では、シェフに扮した大泉さんが裏口に設置したワゴン車で料理をするとクリスマスパーティーもありました。

    藤村:あれ、会社に言ってないんだよ。夜中だったから。

    藤村:朝の番組に出るアナウンサーが来て、俺らがあそこで火を焚いてたら「ここ会社ですよ!?」って怒るわけ。

    ホントに裏口でボーボー燃やしたからね。そのまま酔っ払ってさ、酔っぱらった大泉洋と鈴井貴之、onちゃん(安田顕)が朝の情報番組に出ちゃうんだよ(笑)

    嬉野:ゆるいよねぇ。

    藤村:今だったら「それはないでしょ?」ってなるけど、当時は誰もそんな考えてなかったから…。「朝番組なんて、どうせ見てねぇだろ?」みたいな感じがあった。だから何となく、なし崩し的に…。だからといって、別に大きな問題を引き起こすわけでもないし…。

    やっぱ、あそこで火焚いたっていうのが、旧社屋一番の思い出かなっていう気はするね。

    嬉野:金字塔だったね。やっぱり旧社屋の裏口には、HTBの神髄が溜まっている感じがするんだ。

    藤村:「30時間テレビ」(特番宣伝のために実施した、のべ30時間の生CM企画)もね、あのゴミ捨て場みたいな所の一画に箱馬を乗っけてさ。そこで「30時間だ!」って言ってやってたのよ。

    大泉さんもさ、全ての企画の発表を裏口でやってるから「全社をあげてるイメージが僕にはないものぉ」って常々言ってる

    23年間、大泉洋とともに…。「僕らはここまでたどり着いた」

    ――大泉洋さんは今回のドラマでは、農業の現実に苦悩するNPOの代表・蒲原正義という重要な役どころでした。

    藤村:原作にはないオリジナルの役でしたね。

    嬉野:そう。原作にはない部分だから、台本がギリギリだった。仕上がったのはあいつがロケに来る6日前。

    藤村:どうしても、オリジナルを入れたかったんだよね。漫画の原作だけで作るとしたら、1話完結スタイル。ああいう事件があって、こういう事件があって…となる。

    でも、それをドラマでやってしまうと、1個1個のコマ切れになる。

    最終的にはずっと見て欲しいから、頭から最後まで、実は後ろのほうで巨悪が動いているみたいなストーリーを付けて、最後でそれがつながるっていうようなのは作りたいねって話をした。

    それで、そういうストーリーを作った。原作にはないオリジナルのキャラだから、最後まで台本も練りに練った。

    嬉野:キャラクター性がイマイチつかめなかったりするところを精査してかないとね。大泉さんに対しても「こういうことをやっております」と、こうビシッと。質問されて答えられないっていうことが一番いけないですから。

    藤村:そうすると嬉野さんは、大泉さんが演じる役のドラマに出てこない部分の設定、たとえば家庭環境であるとか、どういう育ちをしたかとか…そういうことも全部書くから長くなっちゃう(笑)

    嬉野:俺はね、親戚の親父みたいな感じで…。あいつがアカデミー賞をとっても、やっぱり「大泉君は大泉君だな」なんて思っていた。

    でもね、今回は本当にいい芝居をしてくれました。

    大泉君の撮影日程は3日間しかなかった。東京から朝イチの飛行機で来て、ロケ現場に入って、クライマックスのシーンから芝居を撮り始めたんです。

    僕はロケ当日、あの人の芝居を見ることができない状況にあった。だからドラマの仕上げが終わる直前、出張先の高松のホテルで藤村君にパソコンで見せてもらったんです。

    ――大泉さん演じる蒲原が主人公に重大な告白をするという重いシーンでした。

    嬉野:長回しでとるから、台詞も長い。でも、彼は自然に語るんだ。

    藤村君も演出にこだわった。大泉君が演じるNPOの代表が、中継カメラに滔々と語り出す…という設定です。

    藤村君はこのシーンを、中継カメラのワンカメの画だけで押し切った。

    普通のドラマだと、情感を出すために色々なカメラ割り(アングル)で撮って、いろんな機微を見せようとするじゃないですか。

    でも、それをワンカットで押し切った。そりゃ大泉君もびっくりしたと思いますよ。

    だけど、あえてカメラが安定もさせず、一発の長回しで、大泉洋の芝居で押しきった。

    現場のスタッフは当然「え?いいでんすか?」って疑問に思う。でも、そういうムードの中で、藤村君はこれでいこうと。そして結果的に大泉洋も力を出しきった。

    ――大泉さん以外で出てくるのは、サブ(副調整室)などで中継を見守る仲間たちでした。

    嬉野:それも藤村君が言っていました。「テレビっていうのは、一つの画面を、色々な所で、みんなが見ているんだ」って。そこを再現したいと。

    だから、この事件をいろんな場所で、色々な人が同時に見ている。そういうシーンを挟んだんです。

    ――確かに、テレビは今あるものを、みんなが同じ世界線で同時に見ている。一方でインターネット上の動画は、それぞれ自分だけのタイミングで見る。時間の同一性はない。

    嬉野:そうだよね。テレビの場合は、今、進行している時間を、みんなが色々な所で、違うことをしながら見ている。

    芝居の奥にある、そういう「日常感」を流さなきゃいけないんじゃないかって。藤村君が撮った最終話には、それが結実してるわけです。

    藤村:だから、どうしても最終回まで見てほしいし、Twitterとかに感想もどんどんあげてほしい。ネタバレうんぬん一切関係なし!

    嬉野:高松のホテルの一室で最終話を観た僕は、大泉君と出会ってからの23年間の来し方行く末を考えました。

    1996年に、一番はじめは「元気でぇーす!」と言っていた大学生の大泉君が、我々と一緒に「水曜どうでしょう」をやってきて、今こうして開局50周年のドラマの最終回に出ている。

    「あぁ、僕らはここまでたどり着いたんだ…」「実に僕たちは、真面目にやってきたじゃないか」と。 そんな思いが伝わればと思います。

    【▼前編はこちら▼】

    水曜どうでしょう23年目の告白「HTBを辞めようと思ったこともあった」