新天皇陛下は5月1日午前、即位後初めて国民の代表者とお会いになる「即位後朝見の儀」に臨まれ、即位後初めてのおことばを述べられた。1989年(平成元年)に即位された前の天皇陛下(上皇さま)と同様、平易な言葉遣いで国民全体に呼びかける形を踏襲された。
全文は以下の通り。
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日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します。
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皇居・宮殿の「松の間」で挙行された儀式には、「皇嗣」となられた秋篠宮ご夫妻や成年の皇族方に加えて、閣僚や三権の長、自治体の代表ら266人が参列した。
前の天皇、皇后両陛下(上皇さま、上皇后さま)は全ての公務から退かれたため、出席されなかった。
両陛下は儀式を統括する式部官長らの先導で松の間に入室。天皇、皇后用のいすの前に立たれた。陛下は燕尾服に、最高位の勲章「大勲位菊花章頸飾」を。雅子様は正装のローブデコルテだった。
おことばが終わると、出席者を代表して安倍晋三首相が前に進み、お答え(奉答文)を読み上げた。
新天皇が国民の代表と初めて会う「即位後朝見の儀」。「平成」と「令和」では、どのような変化があったのだろうか。
「平成」は、崩御の悲しみの中で…
30年前の「昭和」から「平成」への代替わりは、昭和天皇の崩御に伴うものだった。
「即位後朝見の儀」は、昭和天皇の崩御から2日後(1989年1月9日)に執り行われ、前の天皇陛下(上皇さま)モーニングコートで左腕に喪章。勲章はつけられず、襟にバッジ形の略綬だけ。悲しみに満ちたものだった。
そのため、前の天皇陛下(上皇さま)はおことばで「深い悲しみ」という表現用いられ、「身に負った大任を思い、心自ら粛然たるを覚えます」と述べられていた。
その上で国民を「皆さん」と呼び、国民とともに憲法を順守することを誓い、「国運の一層の進展と世界の平和、人類の福祉の増進」について「切に希望してやみません」と、国民全体に呼びかける形をとられた。
「令和」は、新時代の期待の中で…
一方で、今回の「平成」から「令和」への代替わりは202年ぶりに退位に伴うもの。
崩御の悲しみに満ちた前回とは異なり、明るい雰囲気に。新天皇、皇后両陛下をはじめ、出席された皇族方も燕尾服、ローブデコルテと華やかなものになった。
新天皇陛下はおことばで、父・上皇さまの業績に思いを馳せつつ、上皇さまが即位時に用いた「粛然」という言葉を踏襲。
「自己の研鑽に励む」とご自身の抱負を盛り込み、「常に国民を思い、国民に寄り添いながら」「憲法にのっとり」、象徴としての責務を果たすことを誓われた。
その上で、「国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」と締めくくられた。
昭和、大正の「朝見の儀」での詔勅は役人に対しての命令口調だったが、新天皇陛下は上皇さまの即位時と同様、平易な言葉遣いで国民全体に呼びかける形をとられた。
新天皇陛下のおことばの文字数は372文字。平成元年は356文字だった(ともに句読点含む)。
<参考:平成元年(1989年)即位後朝見の儀のおことば>
大行天皇の崩御は、誠に哀痛の極みでありますが、日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより、ここに、皇位を継承しました。
深い悲しみのうちにあって、身に負った大任を思い、心自ら粛然たるを覚えます。
顧みれば、大行天皇には、御在位六十有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、激動の時代にあって、常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ、今日、我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。
ここに、皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類の福祉の増進を切に希望してやみません。