宮崎駿の“戦友”だった、ある女性の物語。彼女は「ジブリの色職人」と呼ばれた

    宮崎駿監督や高畑勲監督が信頼を寄せた、色彩設計の保田道世さん。その手腕を紹介する展覧会がはじまった。

    2年前の秋のことだった。長年にわたってスタジオジブリを支えた一人の女性スタッフが、77歳でこの世を去った。

    その人の名前は、保田道世さん。

    「風の谷のナウシカ」(1984年)から「風立ちぬ」(2013年)までの約30年間、ほぼすべての作品でキャラクターの表情、服や道具の色を決める「色彩設計」を務めた。

    そんな保田さんの手腕を紹介する「映画を塗る仕事」展が、東京・三鷹市の「三鷹の森ジブリ美術館」で11月17日から始まった。

    「ジブリの色職人」保田道世の軌跡

    保田さんは1960年代、宮崎駿監督や故・高畑勲監督と「東映動画」で出会った。

    東映動画は、日本初のカラー長編漫画映画「白蛇伝」を制作。「東洋のディズニー」を目指した会社だった。

    当時は日本のアニメーション黎明期。3人は労働組合運動を通じて知り合った。

    保田さんは、高畑監督のデビュー作「太陽の王子・ホルスの冒険」(1968年)やテレビアニメ「母をたずねて三千里」などにも参加。3人は苦楽を共にしてきた。

    保田さんはカラーチャートを片手に、二人の監督と相談しつつ、ジブリの色を生み出してきた。

    宮崎監督は「戦友」、高畑監督は「同志」と呼んだほど。それだけ信頼が厚かった。

    保田さんも、二人の監督の個性を把握していた。「千と千尋の神隠し」(2001年)の制作時には、こんな言葉を残している。

    「宮崎監督は、昔は具体的に『ここはこんな色』『もっと明るく』などと細かく話したけれど、最近は言葉が少なくなりました。『もののけ姫』あたりから違うところに踏み込んだ感じ。わずかな色の違いよりも、もっと大きなイメージが監督の頭の中にあるのではないでしょうか」
    (読売新聞 2001年1月1日朝刊)

    今回の展示は、宮崎監督や高畑監督が思い描いたイメージを実現しようと、保田さんをはじめスタッフたちが試行錯誤した軌跡が垣間みえる構成になっていた。

    色が語る、ジブリ作品に登場するキャラの個性

    かつてのアニメーションは、アニメーターが描いた絵(原画)を透明なシート(セル)に転写し、絵の具で色を塗り、それらをつなげて作っていた。簡単に言えば、パラパラ漫画の要領だ。

    2時間の作品で、セル画枚数は約12万枚。そのすべてにスタッフたちは、手作業で、絵の具で色をつけた。

    セル画に塗る全ての色を決める責任者。それが保田さんが担った「色彩設計」だった。

    アニメーションに臨場感をもたせるためには、色の役割が欠かせない。通常のテレビアニメでは、約130~160色ほどだという。

    ジブリ作品では、これを優に超えた。「となりのトトロ」(1988年)は308色、「魔女の宅急便」(1989年)は436色、ジブリの長編としては最後のセル画作品となった「もののけ姫」(1997年)は580色だった。

    宮崎監督や高畑監督は、登場人物とその日常を丁寧かつ緻密に描くことで、実写とは違ったリアリティを表現しようとした。その分、求められる色彩も幅広くなった。

    その思いに応えようと、保田さんやスタッフは血の滲むような努力をし続けた。理想の色がないときは、絵の具会社と協力して新しい色さえ生み出した。

    「作品のもつ雰囲気や質感によって微妙に色を使い分けようとすると、既製のセル用絵の具では表現しきれない。保田さんは作品ごとに、絵の具を自分で混ぜて何十色と新しい色を作ってきた」

    (毎日新聞 2002年8月22日朝刊)

    こうした積み重ねが、「ジブリの色」を生み出した。

    感情や時間の経過を「色」で表現

    セル画に塗る色選びは、光の部分と影になる部分の2色1組で決める。

    ときにはキャラクターに強い光をあてたり、影を一段と暗くすることでキャラクターの心情などを表現する。

    さらに色彩を使い分けることで、時間の経過を表現することもできる。

    展覧会のポスターでも紹介されている、「となりのトトロ」のネコバスを描いた3枚のセル画を見てみよう。

    1枚目では、作品に登場する「ネコバス」の基本となる色が指定されている。明るい部分は陽の光が当たっている部分。暗い部分は影になっている部分だ。

    2枚目は、夕方を走るネコバスだ。日が沈み始め、空が茜色に染まり始めると、ネコバスの車内に照明が灯り、車体は暗く見え始める。それらを色の変化で表現している。

    3枚目は夜を走るネコバスだ。周囲が暗くなり、車内の灯りが浮かび上がる。暗い中で街灯に照らされたネコバスの車体は緑がかった色になり、影も茶系のグリーンに近づく。

    このように、ネコバスの車体の色彩で、時刻の変化を巧みに表している。

    「もののけ姫」エボシ御前に見る、保田さんの神業

    「もののけ姫」では、エボシ御前という女性が登場する。

    森を切り開いて鉄を作るタタラ場を治める頭領で、キリっとした美しい外見とは裏腹に、目的のためには手段を選ばない恐ろしさを兼ね備えている。

    火器「石火矢」で山犬と戦い、神殺しを企む。自然と対峙し、近代化を進める現代人と通じる性質を持つ人物でもある。

    保田さんは生前「エボシみたいな女性は好き」と語っていたが、色指定にはとてもこだわったという。

    深紅の半着に野袴姿。上から羽織をなびかせ、ひときわ映える口紅をひいている。エボシという人間を、この色指定で見事に表現している。

    それだけではない。保田さんは、月明かりの下でエボシ御前の美しさを更に引き立たせた。

    夜のタタラ場で、エボシ御前は秘密の場所(石火矢の製造工場)にアシタカを案内する。病(ハンセン病)に冒された人々を、エボシ御前が庇護している様子が描かれたシーンだ。

    そこでエボシ御前が、アシタカにこう語りかける。

    「古い神がいなくなれば、もののけたちもただの獣になろう。森に光が入り、山犬共が鎮まれば、ここは豊かな国になる」

    このシーンで保田さんは、月光に照らされたエボシ御前の着物の色を薄い紫にした。口紅の色も、もとの鮮やかな紅とは対象的に淡いピンクにした。

    美しさ、強さ、優しさ、そして怖さ……。エボシ御前という女性の内面を、保田さんは月光に照らされたシーンの色彩で見事に表現したのだった。

    約200枚のセル画は、アニメーションの一つの到達点

    「もののけ姫」の公開から20年の時を経た。それは、スタジオジブリがセル画での長編製作を終了してから同じ月日が経ったことを意味する。

    宮崎監督は、こんな言葉を残している。

    「創りたい作品へ、創る人達が、可能な限りの到達点へとにじりよっていく。その全過程が、作品を創るということなのだ」
    (ドキュメンタリー「『もののけ姫』はこうして生まれた」)

    現在アニメーションの制作現場では、デジタル技術での着色やCGによる画面づくりが主流となり、セルアニメーションはもはや過去のものとなった。

    だが、セル画の時代に培われた色彩のノウハウが、スタジオジブリの礎ととなったことは確かだ。

    展覧会に展示された約200枚のセル画は、保田さんが宮崎監督や高畑監督とともに駆け抜けた青春そのものであり、アニメーションに命を捧げた人々の努力と苦労がたどり着いた一つの到達点である。

    ※三鷹の森ジブリ美術館は日時指定の事前予約制。11月分のチケットはすでに完売。毎月10日午前10時から、翌月入場分のチケットを販売している。詳細は特設サイトで。