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「平成最後の昭和の日」 昭和天皇、その激動の生涯を伝える35枚の写真

4月29日は昭和天皇の誕生日にあたる「昭和の日」だ。

新元号「令和」まで、残り2日。平成最後の「昭和の日」に、昭和天皇の激動の生涯を写真でふりかえる。

昭和天皇は明治34年4月29日、大正天皇の第1皇男子として誕生した。

御名を裕仁(ひろひと)、ご称号は迪宮(みちのみや)と称された。

1912年7月30日、明治天皇の崩御により「皇太子」となった。

1921年3月から半年にわたってヨーロッパ諸国を訪問した。

軍艦「香取」で各国を歴訪し、見聞を広めた。

1924年、久邇宮家の良子女王と結婚。赤坂離宮(現:迎賓館)を「東宮御所」とし、ここで数年を過ごした。

1926年12月25日、父・大正天皇の崩御により「第124代天皇」として即位した。

戦前、昭和天皇は「立憲君主」であると同時に、軍を統帥する「大元帥」でもあった。

その存在は絶対的かつ「神聖」なものとされた。

やがて日本は、戦争の道へ。

連合国にとって昭和天皇は、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニと並ぶ「敵」となった。

日本から、多くの将兵が戦地へ向かった。

相次ぐ空襲で、日本国内も戦場と化した。

都市への空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下……幾多の犠牲を重ねた後、昭和天皇は終戦の「聖断」を下した。

1945年8月15日正午、国民はラジオから流れた昭和天皇の「玉音放送」で敗戦を知った。

戦後、天皇は日本国憲法の下で「象徴」となった。

戦後、昭和天皇はGHQ(連合国軍)最高司令官のマッカーサー元帥と会談した。

アメリカは昭和天皇を戦犯として訴追しなかった。戦後日本の統治に、その権威を利用できると考えた。

戦後直後から昭和天皇は精力的に地方を巡幸。平和主義者としての姿を印象づけた。

被爆地、広島にも赴いた。

1964年の東京オリンピック。開会宣言は、昭和天皇がおこなった。

新幹線にも乗った。

かつて戦火を交えたイギリスも訪問した。

そして、アメリカにも…。

1975年、天皇として初の記者会見。在位50年の感想や訪米の印象を語った。

昭和天皇は、相撲を愛した。天皇が観覧する相撲は「天覧相撲」と呼ばれる。

幼い頃は、側近と相撲をとったことも。

昭和天皇は生物学者でもあった。

自然をこよなく愛した。

若き日の天皇陛下と将棋を指したことも。

そして、新たな家族が生まれた。

次の時代を担う、新たな世代も生まれた。

1988年4月、天皇誕生日の一般参賀で手を振る昭和天皇。これが「昭和最後の天皇誕生日」となった。

戦後日本の復興を見届けた昭和天皇は、1989年1月7日に崩御。

その波乱に満ちた87年の生涯は、激動の昭和史そのものだった。