210人。2011年末、紅白歌合戦に「AKB48」の名義で出場したメンバーの人数だ。
ステージを埋め尽くし、テレビの前に笑顔を振りまくアイドルたち。
彼女たちの多くは、今はもうアイドルという肩書きを背負っていない。
卒業後、女優やタレントとして芸能界に留まる人はほんの一部。その中で生き残る人はさらに一部。
ほとんどの「元アイドル」たちはステージを降り、一般社会に溶け込みながら生きている。
AKB48グループを卒業した「元アイドル」たちに半生を聞くルポ『アイドル、やめました。』の著者・大木亜希子さんもあの日の210人のうちの1人だ。
SDN48の一員として約2年半活動し、グループ自体の解散とともに卒業した。
いつまでも「元アイドルです」と言ってしまう
15歳で芸能活動を始めた大木さん。大手事務所に所属し、いくつかのドラマに出演したが、なかなか芽が出るチャンスはなかった。
芸能の道を諦めようとした矢先、最後のチャンスとして19歳でSDN48のオーディションに応募。晴れて合格し、2010年にデビューした。
夢に見たバラ色の未来は遠かった。徹底的な競争社会でありながら、単純なルックスや実力で序列が決まるわけではないアイドルという世界。
芸歴は長かった大木さんだが、最後までシングルCDの選抜メンバーには選ばれなかった。あの紅白歌合戦の日も、実はテレビには一瞬も映っていない。確かにNHKホールにはいたはずなのに。
紅組5番目の出演で、SKE48、NMB48といったほかの姉妹グループも含め総勢210人で歌って踊る光景は、われながら圧巻だったと思う。
パフォーマンスの途中、私は緊張がピークに達して簡単な歌詞が飛んだ。だが、マイクを持たない「口ずさみ要員」であったためバレなかった。
「これで私は紅白出場歌手……」
と、座席で念仏のように唱えてみたが実感は湧かない。
なぜならば、終演後に実家の母にメールで確認したところ、テレビ画面に私は一切映っていなかったという知らせを受けていたからだ。
しかし、確かに私は今日あの場で踊っていたようである。アイドルグループの一員として。
卒業後、しばらく地下アイドルとしてソロ活動を続けた。夜になると「いつか仕事につながるかも」と六本木や西麻布で行われる業界の飲み会にせっせと顔を出した。そんな生活をしていたある日、急に虚無感に襲われた。
「自分に何もないのに偉いおじさんに取り入っていても何も生まれないなって、ようやく気づいたんです。『元アイドル』じゃない何かになりたいのに、自信がないから『元アイドルです』と言い続けていました」
「いつまでも『あきこでーす♡』と愛想を振りまいて通用するわけない。このまま何者にもなれずに中途半端なまま、年をとって死んでいくんだろうかと怖くなったんです」
25歳で所属していた芸能事務所を退社し、ライターに転身する。
「元アイドル」の肩書きとどう付き合っていけばいいのか、迷い苦しみ続けてきた大木さん。
同じような境遇の人たちに話を聞くことで「人生の答え合わせ」をしたいと思い始めた。
私はずっと、アイドル時代の経験をどのようにして成仏させたらいいのかわからなかった。“元アイドル”という大きな十字架を背負うことが、誇りであると同時に大きなコンプレックスだった。
フリーランスライターとして独立した現在、本著を執筆する理由は、私と同じ経験をした女性から話を聞き、「人生の答え合わせがしたい」という点につきる。
彼女たちは「アイドルを終えたその後の人生」で、いかにして一般社会に戻り、別の職業に就き、どのような悩みとともに生き、どんな恋をしているのだろうか。
華やかな表舞台を降りて
クリエイター、保育士、ラジオ局社員、アパレル販売員、保育士、広告代理店社員、声優、振付師、バーテンダー。
本書に登場する8人の元アイドルたちの職業だ。
芸能界で華やかに活躍し続けている人ではなく、一般社会で地に足をつけて働いている人――大木さんいわく、「腹くくって第二の人生を歩んでいる人」を選んだ。
数百人にのぼるグループの卒業生の行方を一人ずつ調べ、話を聞きたいと思った相手にSDN48時代のつながりからたどって自らアプローチした。
声をかけた中には『私は今、元アイドルという人生を隠して生きています。ありがたいお話ですが、そのお話には乗れません』と回答があった人もいた。
「その時、とてもハッとしたんです。そういう生き方もあるよね、ごめんごめん、と。私は元アイドルであることを明かして顔出しでライターをしているけれど、彼女は過去としてしまって新しい人生を歩んでいる。そういう向き合い方もあるよなと思いました」
「私が真実を書かなければ! と使命感に燃えていたのですが、向き合い方は人それぞれ。『いい経験でした』と全部美談にするのも違いますよね」
「アイドル時代と無理にリンクさせるのも違うかなって」
「お電話ありがとうございます。営業部の河野でございます」
細く通る声音が電話口から響き、私の耳元を貫いた。
こんなにすぐ「元アイドル本人」に連絡がつくとは思っておらず、私は少々面食らう。
大木さんが印象に残っている一人が、元NMB48の河野早紀さんだ。現在24歳。大学を卒業後、ラジオ局の営業部で働いている。
「電話口での第一声、『営業部の河野です』という声がすごくしっかりしていて、その一言に彼女の人生が詰まっている気がしました」
高校2年の冬にNMB48のオーディションに合格。アイドル活動に専念するため、通っていた進学校を休学・中退するほど本気だった。
とはいえ、熱意と成功は比例しない。公演やMVで見せ場がほとんどない悔しさ、握手会で残酷なまでに明らかになる人気の差。
インタビューでは、アイドル時代の苦悩を赤裸々に語っている。
「メンバー同士で競い合うように毎日ブログを更新して、必死で工夫して可愛く見える自撮り写真を撮って投稿しても、すぐに『コメント数』でメンバーの誰が人気かわかるんです。そういう環境だと焦るし、なんで私は人気がないんだろうとか、かわいくないしそりゃそうかと思ったり、もっといいステージをお客さんに届けて人気者になりたいとか、いろんな気持ちが湧いてきて」
「もちろん(アイドルとしての)経験は生かされているとは思いますが、大切なのは『今』ですから。アイドル時代と無理にリンクさせるのも違うのかなって、最近思い始めました」
「心からアイドルになりたかったはずの河野さん。なのに、実際に競争に晒されながら必死に活動する中で、『私はみんなを輝かせるために頑張る方が楽しいんだ』と気づいたと話していました」
「今のこの仕事は本当に自分に向いているのか、もし違うなら本当にやりたいことはどう見つけたらいいのか……仕事や人生についての悩みってきっと一般の方も同じですよね」
後輩にメイクやファッションのアドバイスをしたことで「人や物をプロデュースするのが好きだ」と気付いた元AKB/SKE48佐藤すみれさん。
自分が経験できなかったからこそ、店を訪れる女性客のデート服のコーディネートを全力で考えているという元NMB48赤澤萌乃さん。
「アイドル時代はファンの人を、今は園児を笑顔にできるように」「やるべきことは一緒。やってきたことは全部繋がっています」と力強く話す元SKE48藤本美月さん。
河野さんに限らず、元アイドルという特殊な経歴を持つ彼女たちの話は、どこかで普遍的で一般的な喜びや発見につながっていく。
「みんな、生きてて迷うことってあると思うんですよ。仕事でも恋でも、人には言えないけど抱えている小さな悩みとか、言葉にならないけどモヤモヤしてる何かとか」
「だから、今それぞれの場所で頑張って生きている人たちに、何か響くものがあればいいなと思いました。読んでいて、不思議に自分の人生や価値観とリンクしませんでしたか? そういう本になったと思います」
「裏ではドロドロしてたんでしょ?」なんて100万回聞かれた
大木さん自身は今、アイドルとして過ごした日々をどう振り返るのだろう。
「やっぱりメンバーは特別ですよね、今も。家族とも友達とも違う、もっと強い絆があります。ロケバスにぎゅうぎゅうに詰め込まれてカチコチのお弁当を食べて、目が回るようなカオスな時間を一緒に過ごした仲間は特別です」
「もちろん楽しかった思い出だけじゃなくて。毎日一緒にいるすごく仲がよい子が選抜メンバーに選ばれて、私は選ばれないわけですよ。愛と憎しみ……うーん、憎しみじゃないですけど……とにかく『ただの仲良し』ではない、複雑で強い人間関係を築けたのはすごい経験だったなと思います」
「そういう競争社会にいると他人に攻撃的になりそうですけど、逆に“魂の純度”が上がっていることに気づくんです。みんなたくさん傷つくから、人の痛みがわかるようになっていく。『裏ではドロドロしてるんでしょ?』なんて辞めてから100万回聞かれましたけど、違うんですよ。人に優しくないとやっていけないんです」
“十字架”を背負って生きていく
こんな本を作ります、と事前にAKB48グループの関係者に伝えた時、こう言われた。
「そういう企画ならぜひ。母校としてうれしい」
アイドルを挫折した人ではなく、新たな世界に羽ばたいた“卒業生”として。直接的にアイドル経験が生きているかはもちろん人それぞれだが、どんな仕事をしていても、あの日々は確実に血肉となっている。もちろん大木さんの中でも。
「これから先も『元アイドル』という十字架はずっとついてまわると思うんです。……むしろ、この本でいっそう『元アイドルライター』と言われるようになっちゃいますよね(笑)。呪縛から逃れたくて書く仕事を始めたはずなのに」
「でも、それでいいんですよね。タトゥーみたいなもの。消えるものじゃない」
「元アイドルとして、元アイドルのたくましさを、ありのままに伝えたい。それは私だからできることかなと思うんです」