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ロンドンの政治顧問は夜、ドラァグクイーン「ナンシー」になる

スコットランド国民党の最高ランクの政治顧問と、ロンドンで最も愛されるドラァグクイーン。どうやればひとりの人間が、このふたつになれるのだろうか?

ロンドン南部、クラパムの狭苦しい白いベッドルームで、スコットランド国民党(SNP)で最も信頼される政治顧問のひとりが、口をとがらせながらブラシで深紅の頬紅を広げる。次にアイシャドーを塗り、眉にさまざまな色のアーチを重ねていく。だが睫毛には何もつけない。

「私はスニーカーを履いたドラァグクイーン。付け睫毛をつける必要なんてない」と彼は言う。

ネイサン・スパーリングは26歳。身長は195センチあり、お世辞にもスマートな体型とは言い難い。「僕のぜい肉は元気すぎるんだ」と皮肉の聞いたジョークを飛ばす。

彼の声はソフトでよく通り、スコットランド東部特有のファイフ訛りがチューバのような快活さで響く。政治の世界やドラァグクイーンの仕事がもしうまく行かなくなったら、タウン・クライヤー(かつて公の通知や布告をふれ回った街の広報員)にでもなったら良さそうだ。

右側にある棚には、黒髪のカツラとベージュ色のブラジャー、年代物のウォッカとコカコーラが置かれている。部屋にはヘアスプレーの臭いが充満してむせかえりそうだ。

1週間前、スパーリングの秘密裏の戦略とキャンペーンのおかげで、SNPは英下院で大勝利を得た。SNP所属の国会議員のひとりが提出した法案が、投票の結果138対1で可決されたのだ。それによって、女性への暴力に対する取り組みを各国に課した「イスタンブール条約」(Istanbul Convention)が批准されることとなった。

同日スパーリングは、自身の政治アカウント「@nathansparkling」から、「今、歴史が作られた。#ICBillを現実のものにするために少しでも役に立てたことを誇りに思う」とツイートした。

取材の日の夕方、スパーリングは、ベッドの上にノートパソコンを広げて「ペット・ショップ・ボーイズ」の曲をかけながら、ソーホーで最も有名なパブのひとつ「アドミラル・ダンカン」(Admiral Duncan)で週に一度開催される夜のカラオケ大会に向けて準備をしていた。イベントのホステス、ナンシー・クレンチに変身するのだ。彼女は、ロンドン最大のLGBTクラブ「ヘブン」(Heaven)でもレギュラーの仕事があり、Twitterのアカウントも持っている。そう、ナンシー・クレンチはスターなのだ。

BuzzFeed Newsが初めて街でナンシー・クレンチに会ったのは2016年6月だった。そのときソーホーでは、フロリダ州オーランドのクラブで起きた銃乱射事件の被害者たちのための追悼会が行われていた。群衆の先頭に立っていた彼女は、ひどく落ち込んだ様子ではあったが、Facebookのライブインタビューで熱いメッセージを語ってくれた。

その時BuzzFeed Newsは、ロンドンのゲイコミュニティの中心地、オールド・コンプトン・ストリートのこの正義感の強い歌姫が、Twitterに時おり不意に登場する、スーツを着てメガネをかけた、スコットランド主要政治家の熱心な政治顧問と同一人物だとは、まったく気づいていなかった。

彼がここへ至るまでのみちのりは、決して平坦ではなかった。

政党と何らかのつながりをもつドラァグクイーンはこれまで、他の国にも何人かいた。ドイツのオリビア・ジョーンズ(本名オリバー・クノーベル)は2017年2月、いずれは「緑の党」党首候補に立候補したいという野心を明らかにした。政治家がドラァグクイーンであることもある。たとえば、アイスランドの首都レイキャビクのヨン・ナール市長は、2010年のプライド・パレードに女装姿で参加した。

だが、新聞記者が電話ボックスでスーパーマンになるかのように器用に切り替えを行いつつ、ふたつの世界で同時にキャリアを築いている人はほかにいない。

また、LGBTの権利擁護に関する政策をSNPほど劇的に変えた政党もほかにない。かつて、反同性愛を声高に訴えた起業家ブライアン・ソーターを支持していた政党が、現在はLGBTの国会議員が世界一多く所属する党になっている。そして、その昔はウイスキーと男性優位主義にどっぷり浸かっていたスコットランドが、今では、社会的にも政治的にも、LGBTの権利擁護を主導している。

ふたつの世界をまたにかけるネイサン・スパーリングは、その最も大胆不敵な象徴だ。

スパーリングによると、ナンシー・クレンチという名はジュディ・デンチの芝居に登場するという。時刻が夕方から夜へと変わり、彼の居場所がベッドルームからバーへと変わった時、BuzzFeed Newsは、サナギから蝶が飛び立つ瞬間を目撃した。そして、彼が演技をしているのではないということがわかってきた。

その最初のきっかけをくれたのは、スパーリングが鏡に向かってメイクをしている時の表情だ。生意気さと自省の両方が、スイッチひとつで切り替わる。乱痴気騒ぎでヘトヘトになりながら、自身について冷静に見る人間を見ているのは興味深い。まるで「こんにちは、可愛いナンシー、さあ、とんでもないイタズラを仕掛けましょうか?」と言っているようだ。

この数日前、BuzzFeed Newsはウェストミンスターにある彼の事務所に招かれ、政治顧問の姿をした彼と会ったのだが、その時に理解したものがなければ、このふたつの人格のつながりは、もっと単純に見えていただろう。

スパーリングの二重生活は、政治と女装、ネイサンとナンシーの分離ではない。その本質はまったく違うどこかにある。

開襟シャツとグレーのスーツに身を包んだスパーリングは、ウェストミンスター宮殿の向かい側にある、1990年代に建てられた議員会館(ポートカレス・ハウス)のセキュリティーチェックでBuzzFeed Newsに声をかけてきた。

スパーリングは、SNPのふたりの国会議員と共用している地味なコネクティングルームへの案内を始めるやいなや、話を始めた。彼は今、エイリド・ホワイトフォード議員の下で働いているが、人気上昇中の政治家で最年少の下院議員マイリ・ブラックのサポートも担当している。

事務所の小さな窓を通して、そびえ立つ「ビッグ・ベン」が見える。

ここでの自分の仕事は、調査をしたり、各方面との連絡を取ったり、社会正義を特に重視した戦略を考えたりすることだとスパーリングは説明した。ホワイトフォード議員はこの分野の党内リーダーだ。

スパーリングは、事務所のデスクに座って、ドラァグクイーンになる前から政治に関わっていたと語った。「13歳の誕生日に、携帯電話の中継アンテナがうちの真向かいに建てられる計画についてのチラシが玄関に入っていた」。彼は、これに反対する地元の運動に参加し、請願活動をし、地元のスコットランド議会議員(MSP)であるトリシア・マーウィックにも会いに行った。そして計画は白紙になった。「この体験から政治に関心をもった」

エディンバラから北に48キロのところにあるグレンロセスで育ったスパーリングは、その後、地域のリサイクル活動に没頭したり、学校で模擬選挙をやったりした(この時は、SNPの候補者として立候補した)。ゲイであることは14歳の時に両親にはカミングアウトしたが、学校には黙っていた。

「ゲイだと公言した生徒が学校にひとりいたが、ひどいいじめを受けていた。私はいじめられたくなかった」とスパーリングは話す。自分のような人間に対して周囲がどう反応するかを見て育ったので、その恐怖心が影を落とした。今でも、「初めてのバーには行かないし、知らない人と話すことも滅多にない」とスパーリングは言う。「私が社会に対して不安を抱いている人間だからだと思う」

最も人目にさらされることを職業としている人が、そんな不安を抱くなんてあり得ないことのように思えるかもしれないが、彼を二重生活へと突き動かしたものは、まさにこうした不安感だった。

「そうした生活は、社会に対して不安を抱かずにすむ方法を提供してくれる。ここ(ウェストミンスター)にいるとき、私は自信たっぷりの表情をしている。ドラァグクイーンになる時は仮面をかぶる」とスパーリングは話す。

スパーリングは17歳の時、大学進学でグレンロセスを離れてダンディーへ行き、そこで学生として政治に取り組むとともに、ゲイであることも初めて友人に打ち明けた。だが大学での1年が終わった時、スパーリングの不安症を悪化させ、彼の人生をふたつに分割する出来事が起こった。そして、その分割によってナンシー・クレンチが生まれた。

夏のある夕方、スパーリングがひとりで学生寮にいると、玄関をノックする音が聞こえた。

ドアを開けると何人かが立っていた。犬用の鎖を持った強盗団だった。寮にゴルフクラブのセットがあることにもすぐ気づき、それも手にした。男3人と女ひとりが中に入ってきて、外にも見張り役がふたりいた。

「最初は携帯電話を出せと言われた。ちょうど新しいものを買ったばかりだったので、古いほうを渡すのが賢いと思った」とスパーリング。「でもその時、誰かが私に電話をかけてきてバレてしまい、連中が怒り始めたんだ」

強盗団のひとりが鎖を振り上げた。「頭と胴体を強打された。続けざまに何度も、ひどく打ち付けられた」。スパーリングの呼吸は浅くなり、息切れし始めた。「そのあいだ中、意識ははっきりしていた」

通行人の注意を引こうと、スパーリングはゴルフクラブを1本つかんで、開いた窓から外に投げた。「これが彼らを余計に怒らせた。ベッドに押しつけられて、ゴルフクラブで殴られ、足の骨を折られた」

強盗のひとりが仲間に向かって「ナイフを探せ」と叫んだ時、彼は「殺される、と思った」

だがナイフは見つからず、強盗団は、たくさんの電子機器を含む彼の持ち物を持って立ち去った。「切り傷だらけで、顔は腫れ上がり、私はまるで『エレファント・マン』のようだった」とスパーリングは振り返る。ゴルフクラブによる負傷で足の神経が損傷し、歩くのが辛くなってしまった。

強盗団は逮捕された。「リサイクル・センター『キャッシュ・コンバーター』に血まみれのノートパソコンを持ち込んだんだ」。6人は全員服役した。だが、スパーリングの足には障害が残った。顔や手に残った傷を見ると悪夢を見、フラッシュバックが起こった。

スパーリングはダンディー大学を退学し、生まれ故郷に戻った。「今に至るまでずっと、アパートにひとりでいると落ち着かない。物音がすると不安になる。あの経験が私の社会不安障害に影響している」とスパーリングは語る。

強盗事件のすぐあと、スパーリングの親友が突然死した。あらゆることに反応する彼は、躁うつ状態を繰り返すようになった。「とてつもない幸福感に満たされる時と、粉々に打ち砕かれてどん底に落ち込む時があった」。そして双極性障害と診断された(それは現在は回復しているという)。

1年間療養したあと、スパーリングはエディンバラ・ネイピア大学に入学した。ここでナンシー・クレンチが生まれた。学生として政治活動を再開する傍ら、エディンバラのゲイ・クラブでDJを始めた。そこで女装コンテストが行われていた。申込者は3、4人しかいなかった。「それで、スタッフ全員が参加するよう頼まれた」とスパーリングは言う。

「スパンコールのついたLサイズのドレスを無理やり着て、背中のファスナーが閉まらないのでカーディガンを着て隠し、ライザ・ミネリみたいなショートカットのカツラをかぶった。当時のパートナーがレディー・ガガのパロディーソングをつくってくれたので、それをステージで披露した」

結果は2位だったのでファイナルに出たが、今度は最下位だった。だが、スパーリングはチャンスだと思った。「どうせパブでDJをしていたし、女装してDJをやれば給料を上げるというから、やることにしたんだ」。こうしてナンシー・クレンチが生まれた。金にひかれただけではなかった。

「それは仮面だった。バーでは、誰にでも話しかけることができた」

当時のナンシー・クレンチはひどいものだった、とスパーリングは言う。「友達にもらったオランダ女性の民族衣装みたいなのを着て、ジョーク・ショップで10ポンドで買ったカツラをかぶっていた」。別に気にならなかった。そのうち自分の出し物をつくり、トークで巡業するようになった。両親と祖父母も見に来て、とても気に入ってくれたという。

大学を卒業したあと、「HIVスコットランド」の運営方針の仕事に関わったスパーリングは、知り合いになった政治家の何人かに連絡を取り、仕事を紹介してもらえないかと頼んだ。すぐに、スコットランド国民党のスコットランド議会議員でゲイでもあったケビン・スチュワートと、盲目で初めてスコットランド議会議員になったデニス・ロバートソンを手伝うことになった。

初めは、ナンシーのことを誰にも話さなかった。「彼らがどう受け止めるか分からなかったから」だという。だがロバートソン議員と親しくなり、彼が各種イベントに参加する手伝いをしながら、彼の右腕となっていった。ロバートソン議員は、自分のために働いてくれるスパーリングへのお礼として、彼のふたつのアイデンティティをひとつにする手助けをした。

「(ナンシーのことを)周りの人に言い始めたのは彼だった」とスパーリングは語る。「多くの人が、夜になると出かけてドレスに着替えるなんて面白いと言って、なぜそうするのか、どうやって女装するか、何をするのか、といろいろ尋ねてきた」

ロバートソン議員は、ほかの人より楽しんでいる様子だった。「いつも冗談で、職場に来る私が女装していても女装していなくても、違いなんて分からないよと言っていた。朝オフィスで、こんなことを言われるんだ。『今日はどんな服を着るんだい、ナンシー』」ほかの政治家たちは、スパーリングがドラァグクイーンであることをとやかく言うどころか大賛成で、ナンシー・クレンチを招いて、党のカンファレンスでカラオケのホストを務めさせるようになった。これは今でも毎年続いている。ナンシー・クレンチの下品な持ちネタにもかかわらずだ。

「私が(ナンシーとして)話した内容について、マスコミが報道するかもしれないという心配は時にはあると思う」とスパーリングは言う。「だから、『デイリー・メール』にこんなことを書かれたら嬉しいだろうか、と考えながらしゃべっている」と言ってから、スパーリングは一瞬考えた。「それでも、基本的にフィストファックのジョークはやめないけど」

議員たちはおそらく、フィストファックで終わればありがたいに違いない。オンラインで見られるあるトークの動画では、観客に用語解説をするナンシー・クレンチの姿が見られるのだ。ストレートの男性が挿入することを「海に入るようなもの」、ゲイの男性の場合は「泥の中に入るようなもの」という説明だ。

スコットランド国民党は確かに変わった。

一方、スコットランドも変化したことは、ある驚くべき事実からうかがい知ることができる。

「ドラァグクイーンとしてグラスゴーの道を歩いていても、同性愛者への嫌悪を感じたことはない。ロンドンでは感じる」とスパーリングは明かす。「ロンドンでは、地下鉄や外を歩いていて、面と向かって『気色悪いんだよお前』と罵倒されることがある。若者たちから、口笛を吹いて囃し立てられることもある」

そういう輩にはよく、「あんたなんか、こっちから願い下げ」とやり返すという。「そう言ってやると、たいてい、一緒にいる友だちに大うけ。男に振られたわけだから」

このような嫌がらせには、意識的に立ち向かうことにしている。「学校時代のことがあるから。自分がゲイであることを非難されたくなくて、同性愛嫌悪の嫌がらせされている人がいても、見て見ぬふりをしていた。そのことで罪悪感があるんだ」

2014年のスコットランド独立住民投票の直後、スパーリングはスコットランドからロンドンへ移った。最初はドラァグクイーンとしての仕事を続けるためだったが、2015年の総選挙でスコットランド国民党は6議席から56議席に大躍進し(うち7人がレズビアンまたはゲイ)、スパーリングは間もなくエイリド・ホワイトフォード議員とマイリ・ブラック議員のために働くことになった。

それ以来、スコットランド国民党副党首で、長年に渡ってLGBTの権利を支援しているアンガス・ロバートソンの選挙運動ディレクターとしても働いてきた。「いまの状況は、私たちがどんなに受容的な党であるかを示していると思う」と彼は言う。「私はいつも、自分がやりたいことをやるのを妨げられるときが来るだろうと思ってきた」

スパーリングは、国会議員かスコットランド議会議員になることに興味はあるが、それは少なくとも40歳になってからだと考えている。では、スコットランド首相はどうだろうか。

「誰でも、首相になってみたいと思ったことがないとは言えないと思う」スパーリングは慎重に答える。しかしナンシー・クレンチは、当面どこにも行くつもりはない。「楽しすぎて、今はやめるなんて考えられない。でもいつか彼女が消えるときは来るだろう」

だが数日後、自室に立って音楽を流しながら、ズボンを脱いでタイツを履き、丸めたタオルをブラジャーの中に詰めている姿には、もうひとりの自分のために今すぐ行動する様子は微塵もなかった。私たちはタクシーに飛び乗り、ソーホーを目指した。

到着すると、アドミラル・ダンカンの外にいた客たちが、人気者のスターが来たかのように歓迎する。「ナンシー! ナンシー!」とひとりが叫ぶ。

パブの中は、月曜の夜だというのに人でいっぱいだ。ナンシー・クレンチのせいらしい。今夜の彼女は、フリルのついた丈の長いツイードのドレス姿で、ゲイと狂乱がうまくバランスされている。この格好にスニーカーを履いている。

それを見た別の常連客が「足はどう?」と尋ねる。

この靴を選んだのは、男と女のふたつで構成される社会に要求される服装に挑戦している訳ではない。痛風が原因なのだそうだ。

パブの後方にあるステージにナンシー・クレンチが登場する。客に囲まれ、差し出されるスピリッツを一気飲みする姿には、みんなが慣れているようだ。

「アドミラル・ダンカンへようこそ!」ナンシーが声を張り上げる。「月曜の夜です! 誰かテキーラ7杯おごってくれる優しい人がいたら、『アンド・アイ・アム・テリング・ユー』が流れている間に全部飲みほします!」

だが彼女は代わりに、ボニー・タイラーの『ホールディング・アウト・フォー・ア・ヒーロー』を芝居がかった大声で歌い始める。カラオケ・マシンの歌詞は無視して、好きなように歌うのだ。「Late at night I toss myself off and I dream of what I need(夜更けにオナニーして、欲しいものを夢見る:原詞は"Late at night I toss and I turn and I dream of what I need")

パフォーマンスをする最初の客は73歳の男性で、なぜか金ラメのスーツを着て、先のとがった白い靴を履き、リベラーチェ(派手な格好をした米国のピアニスト)でさえ安物だと思うようなカツラをかぶっている。ナンシーが紹介する。「結婚式とか成人式に呼んであげてね。自分の葬式もすぐよね」

二人目は、白人の英国人。UB40の『キングストン・タウン』を歌い始めるが、ナンシーが歌の途中で突っ込む。「これって文化の盗用だと思うけど」

次の人はあまりに音痴で、伴奏がなかったら何の歌か分からないくらいだった。観客の拍手に対してナンシーが叫ぶ。「今の、とんでもなく下手だったでしょ。図に乗るから拍手止めなさい」

前列の男性が、ナンシーの股間に手を伸ばす。「『Grindr(ゲイのSNS)』で何回も言ったでしょ、ダーメ!」とナンシーはやり返す。カウンターで男性ふたりがいちゃついている。別の男性は、マガルフ(マヨルカ島の町)で泥酔した若者のように「オイ! オイ!」と叫んでいる。

一方、異性愛者のカナダ人男性は、困惑しきって壁に寄りかかっている。ナンシーが聞き出したところによると、彼はガールフレンドに連れてこられたのだという。次の人がマーク・ロンソンの『アップタウン・ファンク』を歌い始め、途中からナンシーが『マカレナ』を踊り出しても、この状況は変わらなかった。

前の方の、タトゥーをしたがっしりした男性が、彼の潜在意識が一番よく知っている理由から(警察にも理解してもらえるといいが)、ナンシーに向かって「ロヒプノール(睡眠・麻酔薬の名前)」と叫んでいる。

お楽しみは続いている。昔はおそらくぴったりだったと思われるスーツを着た禿げ頭の男性が、情感たっぷりにニール・ダイアモンドの『スイート・キャロライン』を歌い始め、観客に向かって「みんなにも歌ってほしい」と言う。が、誰も歌ってくれない。

BuzzFeed Newsがさよならを告げると、舞台の上のナンシーからぎゅっと抱きしめられた。ガレスという名の男性が、フランク・シナトラの『ザッツ・ライフ』を歌い始める。驚くほどうまい。周りも一緒に歌い出し、抱き合ったり、歌に合わせて体を揺らしたりする人もいる。

出口まで来たが、まだ歌詞が聞こえていた。「I've been up and down and over and out…Each time I find myself flat on my face I pick myself up and get back in the race/人生山あり谷あり、さまざまな困難があった……でも倒れるたびに起き上がり、やり直すんだ」。そのとき、この歌詞は誰が歌っていても不思議ではないと思った。今歌っている人、観客みんな、ナンシー・クレンチ、そして何よりネイサン・スパーリングにぴったりな歌なのだ。

この記事は英語から翻訳されました。翻訳:藤原聡美、浅野美抄子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan


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