子連れ議会は「パフォーマンスならばいい」。30年前の論争は今に生きているのか

    「アグネス論争」から30年。時計の針を戻さないで。

    熊本市議会議員の緒方夕佳さんが、生後7カ月の長男を抱いて市議会本会議に出席しようとしたことで、子連れ出勤の是非や、職場の寛容性をめぐって議論が起きている。

    実は、同じような議論が30年前にもあった。「アグネス論争」だ。

    タレントのアグネス・チャンさんが、講演やテレビの収録現場に1歳の長男を連れて行ったことの是非をめぐって賛否両論が起きた。

    論争には、歌手の淡谷のり子さん、和田アキ子さん、コラムニストの中野翠さん、作家の林真理子さん、社会学者の上野千鶴子さんら多くの著名人が参戦。いまで言う「大炎上」となり、「アグネス論争」は1988年の日本新語・流行語大賞で大衆賞を受賞した。

    「アグネス論争」とは

    緒方さんの場合、許可なく子どもを連れてきたため、議会の出席は認められなかった。開会を40分ほど遅れせたとして厳重注意処分となった。

    緒方さんは、仕事と子育ての両立を「自己責任」として扱われる職場や社会がある、と問題提起。BuzzFeed Newsの取材に「世の中には多くの働く母親が直面している厳しさがある。議場に赤ちゃんと座ることで、多くの声を体現しようと考えた」と話した(単独インタビューはこちら)。

    一方、アグネスさんは1986年に長男を出産し、翌年に仕事を再開。母乳育児を続けたいなどの理由から、マネージャーら同伴のもと長男を楽屋に連れてきた。この行動に、前述の女性芸能人らから「周りに迷惑」「甘い」などの声があがった。

    中野翠さんは「サンデー毎日」で「私は喫茶店に子どもを連れてくる母親というのに、なみなみならぬ嫌悪感を抱いている」と表明し、テレビ局の楽屋も同じだと主張。「タバコを喫えず、『かわいい』のひとこともいわなければならないテレビ関係者の人たちに少し同情した」。

    アグネスさんは、参議院国民生活に関する調査会で参考人として意見を述べたときに反論。「子育ては1歳半まで母親がやるべき」「フランス料理レストランで子連れを拒否された」などとも発言した。講演のギャラが1回100万円だったことも話題になり、論争はさらに過熱した。

    林真理子さんは「文藝春秋」に「いい加減にしてよアグネス」と題した批判記事を掲載。大きな反響を呼んだ一方で、「女をいじめる女」として揶揄するメディアもあった。

    上野千鶴子さんは朝日新聞のコラムで、「ルールを守れ、と叫ぶのは、ルールに従うことで利益を得る人たちである。女たちはルールを無視して横紙破りをやるほかに、自分の言い分を通すことができなかった」と"代理戦争"を買って出た。

    その後も、さまざまな論点で多くの著名人が議論を重ね、1988年7月には『アグネス論争を読む』というブックレットまで出版された。いまで言う「まとめサイト」に近いが、論争は1年以上にわたって続いた。

    預け先を探す旅

    30年前ーー。

    女性たちは卒業後、「家事手伝い」という"肩書き"で嫁入りまで実家で過ごすか、就職してまもなく結婚を決め「寿退社」していた。女性社員にはコピーやお茶汲みなどの雑務しかさせない企業が多かった。1986年4月に男女雇用機会均等法が施行され、「男は仕事、女は家庭」の構図が少しずつ変わろうとしていたころだ。

    仕事と結婚すら両立しないのに、仕事と育児の両立なんて特殊すぎるケースだった。その時代、子育てしながら働いていた女性は、アグネス論争をどう見ていたのだろうか。

    恵泉女学園大学学長の大日向雅美教授(発達心理学)は、アグネス論争が起きる直前まで、博士号の取得を目指す大学院生だった。同時に3〜4カ所の非常勤講師をかけもちしていた。長女は2歳で、家事と育児を会社員の夫と分担していた。

    「あのころは毎日が、子どもを預かってくれる人を探す旅のようでした」とBuzzFeed Newsの取材に振り返る。

    「高度経済成長期が終わり、福祉予算が削られ、保育園の入所枠が切り詰められていました。なんとか預けることはできましたが、私が大学院生だったため保育の必要度が低いと認定され、午後4時には迎えに行かなければなりませんでした」

    両親も助けてはくれたが、遠方だったため頻繁には頼れなかった。ファミリーサポートセンターのような地域の子育て支援事業も整備されていなかった。

    「子どもを預けてまで働くなんて」と非難されるように感じ、専業主婦の母親たちには協力を頼めなかった。銀行の待合室にベビーシッター募集の貼り紙をさせてもらい、信頼できる人に出会えるまで面接を重ね、預け先を必死で探していた。

    「余裕がないでしょう。大変ねぇ」

    いっぱいいっぱいだったときに声をかけてくれたのは、同じマンションに住む高齢の女性だった。「孫を保育園に迎えに行くついでに一緒に連れて帰り、自宅で預かっておいてあげますよ」。そう気軽に申し出てくれたのだ。

    「1人も2人も同じだから、と気さくに言われましたが、2歳児ですよ。同じなわけないじゃないですか。どんなにかお手数をかけたと思いますが、ファミサポのようなモデルがまだなかったから、お礼も受け取ってくれなかったんです。お菓子でさえも」

    その女性が繰り返していた言葉がある。

    「今のあなたに必要なのは甘えること。私に甘えてください。何も返さなくていい。将来、余裕ができたら、子育てで困っている誰かを、今度はあなたが支えてあげてね。人生はお互いさまだから」

    その言葉が、のちに大日向さんが子育て支援事業を始める原点になったという。代表理事を務めるNPO法人「あい・ぽーとステーション」は、母親が一人で抱え込むのではなく周りの人たちみんなで子育てを支えるというコンセプトで、理由を問わない年中無休の一時保育などを実施している。

    仕事は仕事、育児は育児。

    預け先に困っていた大日向さんだが、職場に子どもを連れていくことは、できるだけしないでおこうと思っていた。

    「子どもをあやしながらできる仕事は、それほどありません。子どもを抱いたまま、医師が診察できますか? スーパーのレジは? 旋盤の精密加工は? 議会に限らず、大半の仕事は真剣勝負ではないでしょうか。対価をもらって任せられているわけですから」

    「母親は子どものそばにいたほうがいい、と考えて子連れ出勤に賛成する人もいるでしょうが、それが必ずしも絶対的な前提かどうか、疑ってみることも必要です。母親が仕事をしながら育児の負担まで抱えることになりますし、職場は子どもにとって適した環境とはいえません。子どもに負担をかけることもあるでしょう」

    大日向さんには、忘れられないエピソードがある。

    あるとき、女性記者からインタビューを受けることになり、自宅に招いた。玄関を開けると、その記者の隣にリュックを背負った2歳くらいの子どもが立っていた。

    「一緒に来たいというので、この子の自主性を尊重しました」

    子連れとは聞いていなかったので少し驚いたが、とにかくインタビューは始まった。

    しばらくすると、子どもは退屈し始めた。

    部屋中を走り回ったり、あちこち扉を開けたり。大日向さんは質問に集中して答えることができない。ついにはフローリングの床に仰向けに寝転がって両足を椅子に乗せ、「ママ、こうすると天井がいつもと違って見えるよ」と母親に話しかけた。

    すると、その記者は突然、わが子と同じように床に寝転がり、座っていた椅子に両足を乗せ、大日向さんに足の裏を向けた。そのまま仰向けの姿勢でメモを取りながら、「構いません、続けてください」と言った。

    大日向さんは、記者の足の裏に向かってしゃべり続けた。

    正直、疲れた取材だったし、話を理解してもらえたかも不安だった。だが数日後、その記者から届いた原稿を読んで驚いた。非の打ちどころのない、素晴らしい記事だったのだ。

    「後から思えば、あのとき彼女は、弱みを見せられなかったのではないでしょうか。本当は、預け先が見つからなくてどうしようもない状況だったのかもしれない。それでも仕事に穴をあけられないし、誰にも甘えられない。だから強行手段に出ざるをえなかったのでしょう。そして、きちんとした仕事ぶりで返してくれたのです」

    預け先が見つからなければ、仕事をあきらめるしかない。それなのに預け先がなかなか見つからない。働き続けるために多くの努力、覚悟、犠牲が求められるのが、当時は当たり前だった。30年あまり経った今はどうだろう。待機児童が多い地域では相変わらず同じ問題が横たわっている。

    その問題の解決策が「母親が子どものそばにいること」だとしたら、「時計の針を逆に戻すことになります」と大日向さんは指摘する。

    「アグネス論争」の主役はもっぱら著名人たちだったが、その背景には、母親を育児に縛りつける「3歳児神話」と闘い、育児にも仕事にも責任感をもって取り組みながらも、子どもにも職場にも謝り続けてきた数多くの母親たちがいたはずなのだ。

    「そういう時代を経て、地域や社会での子育て支援の必要性が叫ばれ、ようやく政策論争の表舞台にも出るようになりました。それなのに、母親が子どもをあやしながら仕事をする社会に戻したいのでしょうか?」

    「熊本市議の緒方さんも、そこを目指していたわけではないですよね。子連れで議会に出席することがゴールではなく、単なるパフォーマンスだったのだと思いたい。子どもを利用するパフォーマンスは好ましくはありませんが」

    子どもを排除はしない

    もう一点、職場や社会が子どもを受け入れる寛容性は、また別の課題としてある。

    大日向さんは、どうしても預け先を確保できず、子連れで出勤したことがある。保育専門学校の専任講師をしていたときだ。娘が感染症の水ぼうそうにかかり、体調は回復していたのに登園許可がまだおりていなかった。

    続けて2週間も休めないし、夫も外せない仕事があった。その日は野外遠足が計画されていたため、学生に事情を話して連れて行った。娘をおんぶして相模湖の湖畔を歩き回ってくれている学生の姿を見て、「いざというときに融通がきく職場は本当にありがたい」と感じた。

    「仕事は仕事、育児は育児。でも、いざというときに排除はしない。そんなメッセージが共有されていることが大切ではないでしょうか」

    「親のほうも、自分を応援してくれる職場にお返ししたい、とモチベーションが上がるでしょうし、会社はそんな社員に活躍してほしいから、より働きやすくなるよう環境を整える、というほうに動いていくはずです」

    大日向さんは、仕事と育児を両立しやすくするには、次のような優先順位で環境を整備する必要があると考えている。母親に限らず、夫婦ともにあてはまることだ。

    1. 安心して子どもを預けることができる保育施設の整備
    2. 子どもが病気になったら休める働き方
    3. 病気の子どもを預けることができる「病児保育」の整備
    4. 在宅勤務など時間や場所が柔軟な働き方
    5. 親戚、友達、地域のネットワークづくり


    課題を一つ一つ解決することが、また30年後、次の世代の子育て環境につながっていく。

    林真理子さんが2013年に出版した『野心のすすめ』に、「いま振り返る『アグネス論争』」というエッセイが収録されている。その中にはこんな一節がある。

    仕事と子育てを両立させようとする女性の進む道が、いまの社会においてはまだ"けものみち"であることに変わりはない。

    BuzzFeed JapanNews