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戦争中、女性は生理をどう過ごしていたのか。明治〜昭和の広告でわかること

脱脂綿を洗って何度も使うリサイクルや、ぼろ布や糠袋での代用が提案されていました。

ナプキンやタンポン、月経カップまで、さまざまな生理用品がありますが、昔の人たちは生理のとき、どうしていたんでしょう。

女性誌に掲載されている生理用品の広告を集め、サイトに公開している山浦麻子さんに、紹介してもらいました。

生理用品の元祖は「月経帯」

月経の処置方法が提唱され始めたのは、明治時代だそうです。

「月経帯」とは、使い捨ての紙や布を当てる際に、押さえる丁字帯のこと。今でいうサニタリーショーツです。ナプキンの役割をするのは脱脂綿で、両方をセットで使うことが適切な処置とされていました。

「月経帯の大王」 なんだか強そう

それまでは脱脂綿を膣に詰めていたそうです。

経血の処理はもっぱら自己流か母娘の「口伝」で、脱脂綿を膣内に挿入する女性が多かったといいます。取り出せなくなったり不衛生だったりして、病気になることもありました。

山浦さんによると、「健康で優秀な子どもを産んでもらおうと、生理のときには衛生的な処置をしようという啓蒙を主な目的にしている広告が多くありました」

「ただ、女性誌を読んでいたのは、一部の上流階級の女性だけ。啓蒙はあくまで優生思想に基づいていたようでした」

大正末期に発表された細井和喜蔵の『女工哀史』にも、経血の処理などが考慮されていない、女工たちの過酷な労働環境が描かれています。

「強き方も決して粗相せず」

「如何なるハゲシキ御運動にも」

おしゃれな缶に入っていました。

しかし、昭和16(1941)年に太平洋戦争が始まります。

脱脂綿が使用制限へ

「忙しい銃後のご婦人方...」

使った綿を水洗いして再生

生理用品の「失われた時代」

参考文献:田中ひかる著『生理用品の社会史