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9歳で身近な人から性的な行為をされた私は10年間、誰にも言わなかった

「いない」ことにされてきた大勢のうちの一人だった

「起こったことは起こったこと。たまたま私に起きただけで、別に特別なことではなくて、いつ誰に起こるのかもわからない。もし、これが私の妹や大切な人に起こってしまったら、ここで自分が何も語らなかったことに対してすごく後悔するはずだと思ったんです」

レイプ被害を実名で公表し、手記を書いたジャーナリストの伊藤詩織さんの言葉だ。彼女にこのインタビューをした記事の最後に、私はこう書いた。

〈声をあげると「なぜか」と問われ、声をあげなければ「いない」ことにされる〉

私は9歳のときに、身近な男性から性的な行為をされた。声をあげなかった私は「いない」ことになっている大勢のうちの一人だ。

「一緒に寝てあげる」

私が小学生の頃、母は英会話教室に通っていて、そこで親しくなったマレーシア人の男子留学生Bをよく自宅に招いていた。食事を振る舞ったり、移動手段がないBを車であちこち送迎したり。Bは当時25歳くらいで、私と3歳下の妹は「お兄ちゃん」と呼んで遊んでもらっていた。

小学4年生になる春休みのことだった。Bが留学生の研修で東京に行くことになった。日頃のお礼にと、子どもたちを東京ディズニーランドに連れて行ってあげる、という話になったらしい。結局、妹はまだ小さいので私だけがBについていくことになった。スペースマウンテンに乗ってみたかった私は、初めてのディズニーランドにウキウキした。

日程は3泊4日だった。ユースホステルのような宿泊施設で、Bは私とは別の個室をとっていた。

初めて家族と離れて泊まる私は、夜になると心細くなった。Bが私の部屋に来て、ベッドの上でトランプをした。その時、何度かキスをされた。それまでも膝の上で抱っこ、ハグ、頰ずり、頰にキスなどはあったので、外国流のコミュニケーションなんだろうと思っていた。ひげがあたるのがあまり好きではなかったけれど。

シャワーを終えると、Bに「パジャマに着替えるのを手伝ってあげる」と言われ、全裸で立っているところを正面からじっと見られた。体を触られた。これまでと違って何か変だなと思い、「自分でできるからいい」と言って後ろを向いた。

そのとき、私はまだ初潮を迎えていなかった。性の知識といえば、大人の男女は仲良くなるとキスをして、裸でベッドに入るらしい、という程度のものだった。

ますます心細くて家に帰りたくなって、泣いてしまった。Bは「一緒に寝てあげる」と言って、私の部屋のベッドに潜り込んだ。嫌だという気持ちと、でもBがいなくなって一人ぼっちになったらもっと怖くなるのではないかという気持ち。そしてなぜか、「せっかく『寝てあげる』と言ってくれているのに、断ると悪いのではないか」という気持ちになって、Bの左横で寝ることにした。

朝方、目が覚めると、Bの右手が私の下着の中に入っていた。Bは寝相が悪いのかな、と思った。嫌だったので、体を左に向けて追い出そうとした。恐怖のあまり声を出せなかったり抵抗できなかったりしたわけではなく、「起こしてはかわいそうだ」と思ったからだ。

体の方向転換だけで自然に逃れようとしたが、うまくいかなくて1時間ほどモゾモゾしていた。Bが寝返りをうった隙に、トイレに行くふりをして部屋の隅に逃げた。逃げてよかったのか悪かったのかわからず、心臓がばくばくした。

自分にとって何かとても嫌なこと

2日目の夜。「一人で寝る」と言って鍵をかけたはずだったのに、夜中に目が覚めるとBが隣で寝ていた。「何かあるといけないから」といってBが鍵を持っていたのだ。また下着の中に手が入っていた。今度は、不気味に感じた。Bを揺り起こして「一人で寝られるからいい」と言って部屋に帰ってもらった。

3日目は、待ちに待ったディズニーランドの日だった。スペースマウンテンは90分待ちだった。列に並んでいる間、できるだけBと話さずに済むよう、他のアトラクションに気を取られているフリをした。夜はBに鍵を渡さず、ベッドの中で握りしめて寝た。

自分にとって何かとても嫌なことが起きたのだけれど、痛いわけでも怖いわけでもなかった。道徳で教わったダメなこととも、帰りの会で先生に怒られるようなこととも違う。

帰宅して家族から「楽しかった?」と聞かれ、「楽しかった」と答えると、まあそれ以外は楽しかったし、何かの間違いだったのかもしれない、と思うようになった。

ただ、Bとはもう話したくなかった。Bが自宅に来ても、目を合わせないで避けるようになった。

3カ月後、私の誕生会にBを招待すると母が言った。私は「嫌だ」と言った。自分が会うのも嫌だったし、友達にBを会わせるのはもっと嫌だった。母は「どうして?」と聞いてくれたが、うまく説明できなかった。母は「外国人を差別するのは最低なことだ」というようなことを言った。

しばらくしてBはマレーシアに帰国した。私は東京であったことを誰にも言わなかった。

されたことの意味がわかった

中学生、高校生になるにつれ、ぼんやりとした「何かとても嫌なこと」の輪郭が少しずつわかってきた。それでも「Bのような大人が子どもに性的なことをするはずがない。私が知らないだけで、外国のコミュニケーションの一種に違いない」と思い続けてきた。

大学の「精神医学」の授業で「小児性愛(ペドフィリア)」の言葉を初めて知ったときに、全身の力が抜けたように感じた。否定したかったことが事実になり、自分がその「被害者」である可能性を認めざるをえなかった。わかったとして、今さらどうすればよいのか。精神医学の教科書にはどこにも書いていなかった。

大学で一人暮らしを始めた私は毎晩、自分だけにかかってくる電話を楽しみにしていた。ある夜、電話が鳴ったのでワンコールで取ると、「お兄ちゃんだよ」。Bからだった。

「あ......、お久しぶりです」と答えてから、後が続かなかった。Bは一方的に、結婚する、今こんな仕事をしている、大学生活はどう? などと話していたと思うが、まったく耳に入ってこなかった。なぜこの番号を知っているのか。なぜ今さら電話をかけてくるのか。相づちを打たない私の雰囲気を察したのか、すぐに電話は切れた。

受話器を置いてから猛烈な恐怖に襲われ、部屋の鍵を確認した。マレーシアにいるBが訪ねてくるはずはないのに。その直後、波のように後悔が押し寄せた。あの行為の意味がわかった今なら、なぜあんなことをしたのか、問い詰めるチャンスだった。二度と話したくはない相手だが、それだけは聞いておきたかった。

さらに、怒りも湧いてきた。何も知らない母が、私に無断で電話番号を教えたのだ。Bを嫌いだと意思表示していたつもりだったが、まったく伝わっていなかった。

情けなくて腹が立って、その夜は一睡もできなかった。

次に実家に帰省したとき、私は母にすべてを話した。母は泣きながら謝り、抱きしめてくれた。母はBに電話をかけ、二度と私たち家族に連絡を寄こすなと伝えたという。

私は19歳になっていた。

言わなければならないことではない

その頃、大阪府の横山ノック知事(当時)に選挙運動中に体を触られたとして、女子大生が知事を訴えたことが世間を賑わせていた。

知人のつてで報告集会などに参加し、同い年の彼女が「なぜ抵抗しなかったのか」「知事をはめたのでは」などのバッシングに苦しんでいることを知った。声をあげることの怖さを目の当たりにすると同時に、彼女に比べたら私に起きたことなんて大したことない、という気持ちが強くなった。

リスクを背負って権力者に立ち向かう彼女は、きっと性犯罪被害者の現状に一石を投じるはずだ。でも、一般の外国人留学生に密室で10年前にされたことを今さら私が話しても、何の社会的意義もなさそうだった。私はBに刑罰も社会的制裁も補償も望まないし、その記憶以外はいたって元気だ。

夫には、結婚する前に「言わなければならないこと」のような気がしていて、「昔こんなことがあって...」と切り出したことがある。彼の反応は「そうなんだ」だった。拍子抜けした。

当時、私の頭の中には、ドラマか何かで見た性犯罪被害者のカミングアウトの”典型”があって、夫になる人には、Bに対して憤るか、「つらかったね」と慰めてくれるかの反応を期待していたのだ。

後になって、そんな10年以上前のことをいきなり打ち明けられても「そうなんだ」としか言えないよな、と思った。私が「言わなければならないこと」だと信じ込んでいたことのほうが、どこかで染み付いた無意味な貞操観念だったのかもしれない。

だから私はその後、誰にも言わなかった。言えなかったのではない。言わなかったのだ。

「私は、嫌だった」

たまたま性的被害に遭ったからといって、それを誰かに言うか言わないかの選択まで、自らに課された使命のように延々と悩み続けなければならないなんて、何かおかしい。

「レイプに比べたら... 」「痴漢くらい」「公然わいせつなんて」とお互いに遠慮して「私は、嫌だった」と言えないのもおかしい。あんな酷い目に遭った人でさえ実名で語ったのだから、あなたも沈黙を破りましょう、と第三者に言われるのもおかしい。

性犯罪被害者とひとくくりに言っても、一人ずつ状況も関係性も違う。似たようなことがあっても受け止め方が違う。大事にしたいその後の人生も違う。

だから、声をあげてもいいし、あげなくてもいい。声をあげることにも、あげないことにも理由なんていらない。ただ、世間で”声をあげるべきでない理由”とされていることは、どれも被害者のせいではない。たまたま性犯罪に遭ったことは、恥じ入ることでも、隠すべきことでも、落ち度を指摘されることでもない。

誰でもSNSやネットで発信できる。交通事故に遭ったのと同じように、かわいい猫の写真をアップするのと同じように、言いたいと思ったら言いたい相手を選んで言えばいいだけだ。

「#metoo」と声をあげることは、あくまで自分主体でいい。「社会を変えるためにあなたも声をあげよう」ではなく、逆なのだ。「私も声をあげたい、ここにいるから」、それだけだ。

詩織さんはインタビューでこう語っている。

「残念ながらレイプは、誰にでも起こりうることです。まずは司法で裁いてもらいたい。ただ、もし司法で裁けなくても被害者が責められるのではなく、『話しても大丈夫、助けを求めてもいいんだ、一緒に考えていくから』という社会に少しでもなれば、と思うのです」

声をあげると「なぜか」と問われ、声をあげないと「いない」ことにされる。私はまず、この構造を変えていきたい。


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