守りきれない無力感。子どもを送り出すのがつらいあなたへ

    また子どもが犠牲になる事件があった。四六時中、親がそばにいるわけにもいかない。この途方もない不安感をどうすればいいのだろう。

    「早く机の下に潜って!」

    真新しい防災頭巾をかぶった1年生の子どもたちが、一斉に机の下に隠れ、息をひそめた。子どもたちが先生から聞いたのは、本当にあった怖い話だった。

    <昔、小学校に刃物を持った男が侵入し、子どもたちを刺し、守ろうとした先生たちもけがをしてしまいました。だから、自分の身は自分で守るんだよ>

    これは、東京都内のある公立小学校で5月にあった防犯訓練。その内容が、保護者の間で話題になった。

    「訓練の後から、子どもが学童保育から一人で帰れなくなってしまった」

    「そんな状況なら子ども一人の力ではどうにもしようがないのに、自分の身は自分で守れ、だなんて......」

    どうしたって守れない

    4月19日、東京・池袋で87歳が運転する車が暴走し、12人が死傷。3歳の女の子と母親が亡くなった。

    5月8日、滋賀県大津市で散歩中の保育園児が交通事故に巻き込まれ、2歳の園児2人が死亡した。

    そして5月28日、川崎市登戸の路上で、小学生ら19人が相次いで殺傷される事件が起きた。教師が付き添った列の背後から近づいてきた男は、無言で2本の包丁を振り回したという。

    「もう、無理」「ニュースは見ないようにする」「明日から子どもの送迎を始める」

    SNS上には、動揺する親たちのつぶやきが広がった。

    どんなに大人が力を尽くしても、子どもを守りきることはできない。そんな無力感にさいなまれながら、それでも多くの親たちは毎朝、子どもを送り出す。

    「気をつけてね」と。

    保護者のケアがおろそかに

    「子どもが巻き込まれる悲惨な事件や事故があると、子どもの心理的ケアの必要性はしきりに言われますが、保護者のケアという視点が抜けているのが気になります」

    そう話すのは、児童心理司として児童相談所に19年間勤務した経験がある、家族問題カウンセラーの山脇由貴子さんだ。

    「報道を見たことで、うちの子も同じような目に遭うんじゃないか、と不安を募らせる保護者は少なくありません。子どものケアはもちろん大事ですが、まず保護者の気持ちが安定していなければ、子どもも不安定になってしまいます」

    救急車やビニールシートの映像で不安に

    山脇さんによると、強いストレスや不安を感じている保護者には、具体的にはこんな症状があるという。

    涙が止まらない、思うように体が動かない、食事が取れない、眠れない、悲惨なシーンが繰り返し思い出される、子どもを外に出すのが怖い。

    こうした症状は、事件や事故の被害にあった人やその周りの人だけに表れるのではなく、報道やネット上の情報を見たことによっても表れることがあるという。

    「救急車や消防車、ビニールシート、医療用のテントなどの映像が繰り返し流れているのを見ていると、強烈なストレスになることがあります」

    「献花に訪れている人たちも、自分のことではないのに泣いていますよね。被害にあった子が自分の子と同年代だったりすると、重ねてしまう。防ぎようのない事件や事故が相次いだことで、震災後のトラウマと同じような現象が起きています」

    2011年3月11日の東日本大震災では、被災者や支援者だけでなく、津波やがれきの映像を繰り返し見た人たちも心がふさぎ込む「共感疲労」という現象が起きていたと指摘されていた。

    日常とは何かを思い出す

    四六時中、大人が子どもから目を離さないことは、物理的には不可能だ。それにずっと付き添っていたとしても、被害に遭うことだってある。

    注意や対策をすれば防げる被害もある。しかし、起こりうるあらゆるリスクに備えようとしていたら、日常生活が成り立たなくなってしまう。

    いま途方もなく不安感に襲われている人は、どうすればいいのだろうか。山脇さんは、こうアドバイスする。

    「あの事件は異常事態であって、日常では起こらない。そのことをもう一度、思い出していく作業が必要です」

    「特別なことをするわけではありません。日常を繰り返す中で、怖いことは起こらないんだという認識を一つずつ積み重ねていくのです。時間の経過が重要だといえます」

    「行ってらっしゃい」と学校に送り出した子どもが、今日も無事に帰ってきた。バスに乗ってみたけど、何も起こらなかった。迎えにくる親を待っている間に、怖い人は現れなかったーー。

    親も子どもも、日常を繰り返すことで、安心感を取り戻していく。これは安全神話などではなく、いま心を安定させたい人たちに向けたアドバイスだ。

    防犯パトロールの「効果」

    2001年に大阪教育大附属池田小学校に男が侵入して児童と教師を殺傷した事件の後、学校の安全対策が取られた。門扉の施錠、防犯カメラ設置や、不審者が侵入することを想定した防犯訓練が実施されるようになった。

    新潟市で2018年5月に下校中の小学2年生の女の子が殺害された事件の後には、政府が「登下校防犯プラン」をまとめ、地域の連携や通学路の点検などを求めてきた。

    近隣で事件や事故が起こると、登下校中に保護者がパトロールをするなど防犯体制を強化する学校もある。継続的な取り組みになりにくい点が指摘されているが、山脇さんは「一定の効果がある」と話す。

    「警戒体制が敷かれているということ自体が、強い不安を感じている人たちが安心できる材料になるのです。警察官の制服が目に入るだけで不安が和らぐという人もいます。親子ともに日常を取り戻すまでの一定期間でも、やる意義はあるでしょう」

    それでも「守る」と伝える

    怖がっている子どもに対しては、親はどんな言葉をかければよいのだろうか。

    「安心を取り戻すために大事なのは、いつも通りに過ごすことと、大人が守ってあげるから、という姿勢を見せてあげることです」

    「いや守りきれないでしょ、と子どもから突っ込まれるかもしれません。それでも、あなたを守るためにいろいろな人の力を借りて、みんな全力で頑張るよ、と伝え続けてください」

    溢れる情報をどう受け止める?

    保護者の不安と情報の関連性については、こんな研究がある。

    淑徳大学短期大学部こども学科兼任講師の河野志穂さん(教育社会学)が、幼稚園児と保育園児の保護者を対象にした調査を分析し、2017年にまとめた「就学前の子どもを持つ保護者の犯罪・事故不安の規定要因」によると、教育に関する情報をどこから得ているかによって、子どもが犯罪や事故に巻き込まれる不安の感じ方に違いがあった。

    情報源の選択肢「近所の友人・知人」「園の先生」「マスコミ」「ネット」のうち、「近所の友人・知人」と「ネット」のどちらか片方のみから情報を得ている人は子どもが犯罪や事故に巻き込まれる不安を感じやすいが、その両方から情報を得ている場合には不安を感じにくいという結果になった。

    河野さんはこう分析している。

    「ネット空間でやり取りされる情報は、人々の不安を煽るものも多いです。近所の友人・知人といった地縁に基づく情報源を併せて持つことで、過剰な不安を抱かないよう歯止めになっている可能性があります」

    山脇さんは、つらいときには情報を遮断することも選択肢の一つだ、と語る。

    「情報収集をいったんやめてみたり、不確実な情報を見てしまったら、パートナーや友人など身近な人に聞いて客観的に判断したりすることも大事です」

    「保護者は、子どものケアを優先して、自分のケアがおろそかになりがちです。具合が悪いなと感じたら、専門家のカウンセリングを受けることをおすすめします」

    サムネイル:時事通信